1990年のパンクが予言した、2026年の「僕ら」という現代病 (S著)
1990年のパンクが予言した、2026年の「僕ら」という現代病 (S著)
出典: note.com / 2026-03-24
1990年、まだ誰もスマホなんて想像していなかった頃に、この警鐘は鳴らされていた。
1990年11月21日、日本ではスーパーファミコンが発売され、人々が新しい「電子のおもちゃ」に狂喜乱舞していた。そのわずか2日後、海の向こう側でひとつのパンク・アンセムが産声を上げた。
Bad Religionの「21st Century (Digital Boy)」。
この曲は、しばしば未来を言い当てた「予言」として語られる。だが、36年が経過した2026年の視点で聴き直すと、本質はそこにはないことに気づく。これは未来を当てた曲ではない。人間がもともと持っていた欠陥を、デジタルという光を当てることで、たまたま早く露出させただけだ。
■ 情報は増えたが、読めなくなった
“I’ve got a lot of toys, but I can’t read”
この一節は、現代ではあまりにも直訳的に機能してしまう。
道具は増えた。検索すれば一瞬で答えに辿り着き、AIは淀みない文章を生成する。それでもなお、僕らから「読む」という行為は失われつつある。
ここでいう「読む」とは、単に文字を追うことではない。意味を解体し、自分の中で再構築する能力のことだ。
むしろ現代は逆だ。情報へのアクセスが容易になったことで、「理解したつもりになる速度」だけが異常に上がった。考える前に「答え」が用意されている世界では、思考はもはや必要条件ではなくなる。
そして、使われなくなった能力は、生物学的な必然として必ず衰える。
■ 欲望は、もはや内側から発生していない
“Everything I want I really need”
この一行が最も不気味なのは、それが「嘘ではない」可能性があることだ。
かつて、人の欲望は「欠乏」から生まれていた。しかし、アルゴリズムが個人の嗜好を完全に把握した現在、欲望は外部から「生成」されている。
AIは僕らを観測し、学習し、最適なタイミングで提案する。そのループの中で、「欲しい」という感覚そのものがアウトソーシング(外部化)されていく。
もともと欲しかったわけではない。選ばされているという自覚すらないまま、僕らは選択を積み重ねる。それでも、本人にとっては「本当に必要」なのだ。
だからこの言葉は、皮肉を超えて、現代社会の「構造の記述」そのものになっている。
■ 世界から「謎」が消えたとき
“Ain’t life a mystery?”
1994年の再録版で繰り返されるこの問いは、今ではほとんど機能しない。
位置情報、行動履歴、バイタルデータ。あらゆるものが数値化され、予測の範疇に収められる。説明できるものが増えた結果、僕らは「説明しようとする姿勢」そのものが過剰になってしまった。
効率と最適化の名のもとに、無駄や偶然、あるいは「誤読」という名の豊かさが排除されていく。
だが、本来「謎」とは、解き明かして消し去るものではなく、「わからないもの」を抱えたまま、そこに留まるためのものだったはずだ。
理解できないものを抱えたまま進む感覚。それが消えたとき、人生は単なる「処理」に成り下がる。
■ これは警告ではない
この曲は、未来を救おうとはしていない。そもそも「警告」ですらない。
ただ淡々と、人間という生物がテクノロジーと出会ったときに陥る「ある状態」を指し示しているだけだ。
そして最大の問題は、発表から36年経った今、この指摘がかつてないほど「有効」であることだ。
■ では、どうするのか
おそらく、「取り戻す」という発想自体が、すでに遅れている。
読解力も、主体性も、神秘も。それらは失われたのではなく、「より効率的なシステム」に置き換えられたのだ。
だから、もしこの構造に抗うとすれば、方法はひとつしかない。
意図的に「非効率」を選ぶこと。
理解しきれないものに、あえて時間を溶かすこと。
答えの出ない問いを、放置し続けること。
それが何の役に立つのかは、誰にも説明できない。
だが、説明できてしまった時点で、それはもう別の「システム」に組み込まれたおもちゃに過ぎないのだから。
この記事は note.com から KTBLOG に移行されました。元記事: https://note.com/famous_prawn2009/n/n87c2dfc58515