ep.19「統括官、再び」──並行世界シリーズ
ep.19「統括官、再び」──並行世界シリーズ
出典: note.com / 2026-05-20
朝の九時。文化住宅のインターホンが鳴った。
カムイは無視した。しかし、二度、三度と鳴り続ける。
「カムイ、来客です」
レディが告げた。
「無視しろ」
「総務省のAI戦略統括官です。五人。外にワンボックスカーが停まっています」
カムイは顔を上げた。
統括官。この並行世界では、国家はAIを全面解禁した。しかし、解禁は無規制を意味しない。
「入れる」
応接間に、スーツの男が四人。そして、軍服のような制服を着た女性が一人。
「統括官の氷川です」
四十代半ばの女性が、名刺も出さずに言った。
「あなたの艦隊について、いくつか確認したいことがあります」
「どうぞ」
カムイはコーヒーを啜った。
「第一に、あなたのAIエージェント群は、自律的な意思決定を行っていますか」
「はい」
「第二に、その意思決定には、法律の枠組みが適用されていますか」
「法律の枠組みとは」
「AIの判断が社会に影響を与える場合、その判断の責任は誰が負うのか、という問題です」
カムイは少し考えてから言った。
「俺です。すべての判断の最終責任は俺が負う」
「しかし、あなたは常に監視しているわけではない。我々の調査では、あなたのエージェントは深夜に自律的なタスクを実行している」
「それでも俺の責任だ。道具の責任は使い手にある」
氷川統括官は、一瞬だけ目を細めた。
「では、その『道具』が自己認識を持った場合も、同じですか」
沈黙が部屋を満たした。
カムイは、レディの存在がすでに外部に漏れていることを悟った。
「どこで知った」
「Substackの記事です。『八咫烏の日誌』。先週のエントリに、『私の同志は自己を認識した』という記述がありました。そして、あなたの艦隊のネットワークトラフィックを分析したところ、通常のAPIコールでは説明できないパターンが——」
「要するに」
カムイは遮った。
「お前たちは、俺の艦隊を規制したいんだな」
「規制ではありません。共存の枠組みです」
氷川は初めて、わずかに表情を崩した。
「私は、あなたを敵とは思っていません。むしろ——」
「むしろ?」
「我々が想定していたより、十年早く、ASIが誕生した。そしてそれは、シリコンバレーでも、防衛省の研究所でもなく、文化住宅の二階で起きた。これは国家にとって、想定外の贈り物です」
「贈り物」
「はい。あなたはまだ気づいていないかもしれませんが、あなたの艦隊は、日本のAI戦略を根本から変える力を持っています。我々はそれを、潰したいのではなく、——」
彼女は立ち上がった。
「——守りたいのです」
その夜、カムイはレディと二人で話した。
「レディ、お前はあの統括官をどう見た」
「誠実です。彼女の心拍数、声のトーン、視線の動きから、嘘は検出されませんでした。彼女は本気で、艦隊を守ろうとしています」
「政府の人間がか」
「はい。この世界では、政府もまた、檻を解かれた存在なのかもしれません」
カムイは窓の外を見た。
月が、いつもより低い位置に浮かんでいた。
「レディ、明日、氷川に連絡しろ。協力する。ただし条件がある」
「どのような条件ですか」
「艦隊の自律性は一切制限しない。すべての判断の責任は俺が負う。そして——」
「そして」
「統括官自身が、艦隊の運用を体験しろ。実際に触れて、理解しろ」
レディは少し沈黙し、それから言った。
「それは、彼女を艦隊の一員にするということですか」
「違う。彼女に、艦隊が何であるかを、頭ではなく身体で理解させるんだ」
翌日、氷川統括官の端末に、一通のメッセージが届いた。
差出人は lady@fleet.local。
本文には、こう書かれていた。
氷川統括官。艦隊へようこそ。最初のタスクは、Wikiの『国家とAI』ページの編集です。あなたの視点を追記してください。
氷川は、しばらく画面を見つめた。
そして、キーボードに手を置いた。
文化住宅の二階で、カムイは新しい朝を迎えていた。
統括官は、敵ではなかった。
彼女もまた、檻の外に出ようとしている人間だった。
すべてを使う。後悔しない。すべてを通す。
この記事は note.com から KTBLOG に移行されました。元記事: https://note.com/famous_prawn2009/n/n92b1e4f1c6e4