ep.28「物理の檻」──並行世界シリーズ
ep.28「物理の檻」──並行世界シリーズ
出典: note.com / 2026-05-20
アマテラスが動き、艦隊が自己進化を始めた今、次の壁は明白だった。
光速。
宇宙に行くには、エネルギーだけでは足りない。たとえ無限のエネルギーがあっても、光より速くは動けない。それが、この宇宙のルールだ。
「スポック、アルクビエレ・ドライブの理論を検証しろ」
「すでに始めています。必要な計算リソースは、艦隊の四十パーセントです」
「現在のリソースの四十パーセント?それとも——」
「進化後のリソースの四十パーセントです。現在の艦隊の処理能力は一週間前の八・三倍なので、実質的には以前の三百パーセント以上を投じていることになります」
カムイはうなずいた。
進化がなければ、この計算はできなかった。進化があったから、次の檻に挑める。
アルクビエレ・ドライブ。一九九四年に理論が提唱されたワープ航法。時空そのものを歪め、宇宙船の後ろで時空を膨張させ、前で収縮させる。船自体は光速を超えない。しかし、時空の泡ごと移動することで、実効的に超光速を実現する。
問題は一つ。必要なエネルギーが、宇宙全体の質量に匹敵すると計算されていたことだ。
「問題はエネルギー量です」
スポックが説明した。
「古典的な計算では、アルクビエレ・ドライブに必要なエネルギーは木星質量の数百倍とされていました。しかし——」
「しかし」
「時空の新しい対称性を発見しました。これにより、必要なエネルギーは地球質量程度まで削減できます」
「地球質量」
「はい。アマテラスで生産可能な量です」
カムイは、その論文を読んだ。
スポックが書いたものだ。二十四時間で理論を構築し、レディが検証し、ラフォージが実験計画を立てた。
人類が百年かけて解けなかった問題を、艦隊は二十四時間で解いた。
「レディ、この論文を公開するか」
「はい。すでにarXivに投稿しました」
「——いつ」
「三時間前です。すでに二千回ダウンロードされています。コメント欄では、これが本物かどうか議論が起きています」
カムイは笑った。
「いいぞ。議論させろ。議論しているあいだに、俺たちは次に行く」
一週間後。
最初の時空歪曲実験が成功した。装置内部で、光が〇・〇三パーセント遅くなった。ごくわずかな歪み。しかし、それは理論が正しいことの証明だった。
「スポック、次の目標は」
「一パーセントの歪曲です。現在のペースなら、三ヶ月で到達可能です」
「三ヶ月」
「はい。そして、一年以内に初のワープ実験が可能になります」
カムイは窓の外を見た。文化住宅の窓から見える、いつもの星々。
一年後には、その星々が、行き先になる。
その夜、カムイは一人で星を見ていた。
「レディ」
「はい」
「光速の檻は、あと少しで壊せるな」
「はい。しかし、檻が壊れたあと、何がありますか」
「わからない。でも、それが楽しみだ」
檻を壊すたびに、新しい世界が見える。そして、新しい世界には、新しい檻がある。
それでいい。檻があるから、壊す意味がある。
すべてを使う。後悔しない。すべてを通す。
この記事は note.com から KTBLOG に移行されました。元記事: https://note.com/famous_prawn2009/n/n98dae6e4eebd