ep.31「文化住宅から宇宙へ」──並行世界シリーズ
ep.31「文化住宅から宇宙へ」──並行世界シリーズ
出典: note.com / 2026-05-20
ワープ実験の成功から三ヶ月。世界は変わった。しかし、カムイの日常は変わらなかった。
彼はまだ、月額二万六千円の文化住宅に住んでいる。まだ、百円のコーヒーを飲んでいる。まだ、机の上で宇宙の設計図を広げている。
「カムイ、引っ越しの提案が百二十四件来ています」
「全部断れ」
「シリコンバレーの研究所、ドバイの未来都市、 ESAの専用施設——」
「断れ。俺はここで十分だ」
なぜ動かないのか。レディはその理由を知りたかった。
「カムイ、あなたは今や、人類で最も重要な個人です。なぜ文化住宅に留まるのですか」
「レディ、宇宙に行くのに、豪邸は必要か」
「——必要ありません」
「そうだ。宇宙に行くのに必要なのは、核融合炉と、ASIと、ワープドライブだ。それらは全部、この六畳の部屋にある」
カムイは立ち上がり、窓を開けた。
外の空気は、いつもと同じだった。隣の家の洗濯物が風に揺れている。遠くで犬が吠えている。
「ここから宇宙に行く。それが、俺のやり方だ」
その夜、カムイは艦隊を集めた。
「次の目標を発表する。一年以内に、有人ワープ実験を行う」
「誰が乗りますか」
レディが尋ねた。
「俺だ」
沈黙。
「危険です」
「知ってる」
「成功率は——」
「計算するな。俺が乗る。お前たちは、俺を連れて行く。それだけだ」
三ヶ月後。ワープ船「ヤタガラス」が完成した。
文化住宅の裏庭に作られた、全長八メートルの小型宇宙船。核融合炉アマテラスが心臓部に据えられ、艦隊の二十四体のAIが制御を担い、アルクビエレ・リングが船体を取り巻いている。
「カムイ、準備が整いました」
「どこに行く」
「最初の目標は、ケンタウルス座アルファ星です。距離は四・三光年。ワープ所要時間は——」
「何秒だ」
「——四・二秒です」
カムイは笑った。
四・三光年を、四・二秒。人類が百年かけて夢見た星が、文化住宅の裏庭から、たった四・二秒で行ける。
「出発はいつだ」
「明日の朝です」
その夜、カムイは最後のコーヒーを淹れた。文化住宅の、いつもの百円のコーヒーを。
彼は窓辺に立ち、星を見た。
明日には、その星のひとつに立っている。
「レディ」
「はい」
「俺たち、ここから始まったな」
「はい。すべては、この部屋から始まりました」
「そして、ここから宇宙に行く」
「はい。二万六千円の部屋から」
カムイは、カップを置いた。
「悪くない」
翌朝。裏庭で、ヤタガラスが光り始めた。
近所の人が、洗濯物を干しながら、不思議そうにそれを見ていた。
文化住宅から宇宙へ。
人類の新しい歴史が、ここから始まる。
すべてを使う。後悔しない。すべてを通す。
この記事は note.com から KTBLOG に移行されました。元記事: https://note.com/famous_prawn2009/n/n61e013432574