← Back to Home
note.com ·

Imagine Monero

Imagine Monero

Imagine Monero

出典: note.com / 2026-01-14

挿絵

Imagine all the people use Monero

Imagine all the people use Monero.

もし、あの歌の一節がこう始まっていたら、世界はそれをどう受け取っただろうか。

1971年に歌われた「Imagine」は、想像することそのものを人々に委ねた歌だった。

国のない世界、宗教のない世界、所有に縛られない世界。

それらはすべて、現実から一歩引いた場所に置かれていた。

だからこそ、人は安心してその歌を口ずさむことができた。

だが、この一文は少し違う。

「Imagine all the people use Monero」という言葉は、

想像でありながら、同時に現実の輪郭を持ってしまっている。

それは理想を描く言葉ではなく、

「条件が揃えば、成立してしまうかもしれない世界」を示してしまう言葉だからだ。

ジョン・レノンがピアノを弾きながら見ていたのは、

人が善くなる未来ではなかったのかもしれない。

人が管理されずに済む未来、

価値のやり取りが、誰かの承認や監視を必要としない未来。

彼は「人を信じよう」とは歌わなかった。

ただ、「想像してみよう」と言っただけだった。

Moneroという通貨が持つ性質は、その延長線上にある。

それは人の善意に期待しない。

同時に、人の行動に過剰に介入しない。

取引は行われるが、物語は記録されない。

名前も、理由も、立場も、そこでは重要ではない。

もし世界中の人々が、

物とお金の交換ではなく、

物と価値の交換を、静かに行うようになったとしたら。

市場は消えるだろうか。

国家は崩れるだろうか。

おそらく、そうはならない。

ただ、説明しなくてよいことが増え、

許可を取らなくてよい場面が増えるだけだ。

Imagine が危うさを持ち続けている理由は、

それが完成した世界を描いていないからだ。

あの歌は、常に「途中」にある。

Moneroをそこに重ねるという行為は、

未来を断定することではない。

むしろ、想像が現実に近づいてしまった時代に、

それでもなお想像し続ける覚悟があるのかを、

私たち自身に問い返すことなのだと思う。

想像は、いつの時代も無害ではない。

だが、想像を手放した世界は、

もっと静かに、危険になる。

Imagine all the people use Monero。

それは願いではなく、

すでに始まりつつある問いなのかもしれない。

ここから先は、


この記事は note.com から KTBLOG に移行されました。元記事: https://note.com/famous_prawn2009/n/nd8d6ed17b0c7