【芸術って何だろ? #683】ヘレン・フランケンサーレラーの「版画の旅」— 版画は画家の寄り道か、もう一つの本体か
出会いは「寄り道」から——画家と版画の最初の距離
ヘレン・フランケンサーレラーという画家を語るとき、多くの人はキャンバスに直接絵の具を流し込むあの画法を思い浮かべるでしょう。では、版画との出会いはどのようなものだったのか。この節では、画家と版画のあいだに最初に横たわっていた距離について考えてみます。
版画は、もともと画家にとって本業ではない領域でした。彫り、刷り、紙の選択など、絵筆一本で完結する制作とはまったく異なる工程が待っており、職人との協働が前提になります。直接描くことに慣れた画家にとって、自分の手を離れた版を通じてしか表現できないという条件は、心地のよいものではなかったはずです。フランケンサーレラーにとっても、版画は絵画の延長線上に自然にあったものではなく、あえて足を踏み入れた別の作法だったと考えるのが自然でしょう。
ここで注目したいのは、「寄り道」という捉え方です。本筋である絵画の脇道にそれて、慣れない手法に挑んでみる——そんな位置づけで始まった関わりが、やがて画家自身の表現にどんな影響を与えるのか。出会いの段階では、版画はあくまで絵画に従属する補完的なもの、つまり「もう一つの本体」ではまだなかったと見てよいはずです。
とはいえ、最初の距離が遠ければ遠いほど、歩み寄りの過程で得られる発見も大きいものです。絵画ではありえない制約に直面し、そこで何を手放し、何を残すかを判断すること。版画との出会いがフランケンサーレラーにもたらしたのは、単なる新しい技法ではなく、自分の絵画を外側から見つめ直す視点だったのではないでしょうか。寄り道として始まった旅が、後に問いへと変わっていくのです。

Helen-Frankenthaler-
(写真: Helen-Frankenthaler- — Carolineandrieu / CC BY-SA 4.0, Wikimedia Commons)
版画にしかできないこと——直接描くのとは違う手応え
版画を初めて手にする画家にとって、まず驚かされるのは、キャンバスに直接筆を走らせるのとはまったく違う手応えだと言われます。油絵や水彩では、描いた瞬間に筆致がそのまま画面に残ります。ところが版画では、板や石に彫り、腐食させ、インクを乗せてから紙に刷るという工程が間に入るため、自分の hand の動きがそのまま絵になるわけではありません。
この「間」は、不便な制約にも見えます。しかしそこにこそ、版画にしかないおもしろさがあると考えることができます。版の上でインクの乗り方を確かめながら、直接描くときには思いつかなかったかすれ、にじみ、濃淡の表情に出会う。意図しない効果が画面に生まれ、それが新しい表現のきっかけになる——版画を続ける作家の多くが語るのは、こうした経験です。
ヘレン・フランケンサーレラーの場合も、版画との取り組みは、彼女の絵画とは異なる性質を持つ営みでした。色を流すように画面に染み込ませていく彼女の絵画手法と同じ感覚を、版の上でどう実現するか。これは彼女にとって、自らの表現を別の物質と工程を通して問い直す作業になったと考えられます。版画家としての熟練を最初から持っていたわけではなく、むしろ画家の立場から版画のルールに触れることで、描くことと刷ることの距離を自分の目で確かめたのだと言えそうです。
刷り上がった一枚を前にしたときの、予想を裏切る色や質感との出会い。直接描くことでは得がたいこの手応えこそが、画家たちを版画へ引き寄せる理由の一つなのかもしれません。

President George W. Bush and Mrs. Laura Bush with 2001 National Medal of Arts Recipient Helen Frankenthaler
(写真: President George W. Bush and Mrs. Laura Bush with 2001 National Medal of Arts Recipient Helen Frankenthaler — Series: Photographs Related to the George W. Bush Administra / Public domain, Wikimedia Commons)
繰り返しが生む変化——版を重ねるたびに変わる絵
版画を学び始めたフランケンサーレラーにとって、最も印象的だったのは、一枚の版を彫って刷って終わり、という作業ではなかった点だと伝えられます。版画は同じ版から複数の絵を生み出せる技法ですが、彼女はその「繰り返し」を単なる複製と捉えなかったと考えられます。試し刷りを重ねるたびに、色の重なりや形の抜け方が少しずつ変わり、それが画家自身の目を新しい方向へ向かわせたと言われています。
特に木版画では、色ごとに版を分け、順に重ねて刷ることで初めて全体の絵が完成します。最初の版の段階では最終的な姿は見えないため、刷り進めながら予想と結果のずれを確かめ、版を彫り直したり配置を工夫したりして調整していくことになります。この行程は、キャンバスの上で絵具を直接扱いながら即座に判断してきた油彩の画家にとって、思い通りの一手を打てない制約に見えるかもしれません。しかし実際には、そのずれこそが思いがけない色彩やかたちとの出会いになり、同じ構想からでも刷りのたびに微妙に異なる表情が生まれると指摘されています。
ここでの考察は、版画の「繰り返しが変化を生む」という性格が、フランケンサーレラーの絵画のあり方と響き合ったのではないかという推測です。彼女の絵画は、色のしみがキャンバスに広がり、その広がり方から次の描き込みを決めていく、確定しない状態を大切にするものでした。版を重ねるたびに絵が揺れ動く版画の経験は、その探求の方法と深く噛み合っていた可能性があります。つまり版画は、完成された絵を写す作業ではなく、版を重ねる過程そのものが絵を育てる、もう一つの創作の場だったと受け止めることができます。

©lynngilbert Helen Frankenthaler 1978
(写真: ©lynngilbert Helen Frankenthaler 1978 — LynnGilbert5 / CC BY-SA 4.0, Wikimedia Commons)
寄り道か、本体か——フランケンサーレラーが残した問い
画家として名を成したヘレン・フランケンサーレラーにとって、版画との関わりは当初、制作の中心から少し離れた位置にあるように見えていました。キャンバスに直接絵具を注ぎ込むことで知られた画家が、石や木や金属といった媒材を介し、刷り師とともに作品を生み出す営みに向き合う。その距離感は、前節までに見てきたように、ときに「寄り道」のようにも映りました。本業の絵画の余白で、別の表現を試してみる。そんな軽やかさを伴う出発だったのではないかと推測できます。
しかし、版を重ね、刷りを重ねるうちに生まれた変化や手応えを振り返ると、話はそう単純ではありません。版画は単なる模倣の手段ではなく、絵画では得られない発見をもたらしました。これは、版画が絵画に従属する練習ではなく、それ自体が一つの到達点になりうることを示しています。つまり「寄り道」として始まった旅が、いつしか「もう一つの本体」に近づいていったと捉えられるのではないでしょうか。
ここで残る問いは、表現者にとって「本体」とは何かという根源的なものです。最も長く続けた技法が本体なのか、最も深い発見をもたらした営みが本体なのか。フランケンサーレラーの場合、答えを自分で断ち切る必要はなかったのかもしれません。絵画と版画は競い合うのではなく、互いを照らし合う二つの光源として並んで立っていた可能性があります。
私たちの日常にも通じる示唆があると感じます。趣味として始めたことが、いつのまにか自分を最もよく表す活動になっていた——そんな経験を持つ人は少なくないはずです。始めたときの位置づけは、続けるうちに書き換わっていく。フランケンサーレラーの「版画の旅」は、この事実を静かに教えてくれると考えられます。寄り道に見えた道こそが、実はもう一つの道だった。そう問いかけ続けた画家の足跡に、私たちはこれからも目を凝らしてよいはずです。

Interior Landscape, 1964, Helen Frankenthaler, Paintings in the San Francisco Museum of Modern Art, SFMOMA 18
(写真: Interior Landscape, 1964, Helen Frankenthaler, Paintings in the San Francisco Museum of Modern Art, SFMOMA 18 — GualdimG / CC BY-SA 4.0, Wikimedia Commons)
『芸術って何だろ?』編集部