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【現代古代史 #151】大学という塔————知識を囲い込み、資格で門を守る中世ギルドの生残り

【現代古代史 #151】大学という塔————知識を囲い込み、資格で門を守る中世ギルドの生残り

大学という「資格の門」を未来から検分する

現代に生きる私たちにとって、大学とはどんな場所でしょうか。高い塔のようにそびえ、その門をくぐるには試験という関所を通らねばなりません。門の内側で数年学び、出るときに一枚の証書を受け取ります。その証書がなければ、医師にも教師にもなれないとされています。知識そのものは今や本でもネットワークでも手に入るというのに、なぜ私たちはまだ門をくぐらなければならないのでしょうか。

未来からこの門を検分してみると、奇妙なことが見えてきます。門が守っているのは、実は知識そのものではなく、知識を扱う資格なのです。誰がどこで学んだか、誰が検定したかという記録。そしてそれを囲い込み、管理する仕組み。大学とは、知識を開かれた泉にするのではなく、囲いの中に保ち、門を守ることで成り立ってきた装置である、と未来人には映るはずです。

そして、この囲い込みの発想が驚くほど古いことも、同じ目で見て取れます。西暦1088年、イタリアのボローニャに、中世ヨーロッパ最古の大学とされる学びの集まりが生まれました。また、フランスのパリ大学も中世の学問の中心として知られ、さらに遡れば、僧院学校が知識を伝える場として人々に学びを授けていました。つまり「門を通った者だけが知に近づける」という構図は、千年近く前から途切れることなく続いているのです。中世のギルドが職人の技を免許で守ったように、大学もまた知識の門を代々守り続けてきたと考えられます。

では、なぜ知識は囲われたのでしょうか。囲いの中で守られることで深く鍛えられたのか、それとも一部の者だけの特権となってしまったのか。この問いを手に、いま、起源の地へと降りていくことにします。

緑の芝地にテントが並び、旗がはためく大学のキャンパス。学生たちが学びの場を自ら占拠する姿は、囲われた知の門を問い直す現代の光景といえる。
緑の芝地にテントが並び、旗がはためく大学のキャンパス。学生たちが学びの場を自ら占拠する姿は、囲われた知の門を問い直す現代の光景といえる。

(写真: Student encampment on the University of Reading Whiteknight campus in support of Palestine 2 — Tim Landy / CC BY-SA 4.0, Wikimedia Commons)

ボローニャ1088年——ギルドとして始まった知識の組合

大学の歴史を語るとき、その出発点としてよく挙げられるのが、イタリアのボローニャにおける一〇八八年の学術集団の成立です。この年を手がかりに据えて、当時の学びの場がどのような性格を持っていたのかを見ていきます。

ボローニャに集まったのは、Roman法をはじめとする学問を志す学生たちでした。彼らは教師を雇い、学費を支払い、自らの身を守るために相互に助け合う組織を作りました。この姿は、職人たちが技術の伝授と利害の擁護のために結成していたギルド、つまり同業組合のそれと重なります。知識を扱う人々が、技能を扱う職人と同じ論理で組合を組んだ——ここに、後の大学の原型があります。

重要なのは、この集団が単なる勉強会ではなかった点です。組合には加入の資格があり、資格を満たした者だけが教える側にも、教わる側にも、そして卒業して開業する側にもなれました。学問の熟達を内外に示す証明が、組合の門を出入りする許可証として機能していたのです。知識を囲い込み、その通行を証によって管理する構造は、ここで既に動いていました。

ボローニャの模型はやがてアルプスの北にも及び、神学を中心に据えたパリ大学へと受け継がれました。教師たちの組合であったボローニャに対し、パリでは教師と学生が一つの自治的団体を形成する形が発達したとされます。いずれにおいても、学びは個人の趣味ではなく、組合が守り、組合が認定する営みでした。

なお、ボローニャ以前にも学問の場そのものは存在しました。僧院学校では、信仰に仕える人材を育てるために読み書きや聖典の研究が行われていました。しかし当面、本節が見るのは、ギルドという世俗の組合のかたちで自立した、ボローニャ以降の系譜です。資格という門を備えた知識の塔は、ここから建設が始まります。

日差しの差す大学構内の歩道を大勢の学生が行き交う。門の中で日々を送る人々の姿は、誰を仲間とし誰を外に置くかという制度の緊張を静かに映し出す。
日差しの差す大学構内の歩道を大勢の学生が行き交う。門の中で日々を送る人々の姿は、誰を仲間とし誰を外に置くかという制度の緊張を静かに映し出す。

(写真: Students on Tulane University Campus, New Orleans, October 2010 — Tulane Public Relations / CC BY 2.0, Wikimedia Commons)

守られるべき門と、すり抜けてきた人々——矛盾と変質の系譜

大学が知識を囲い込む門として機能するとき、門を守る側と外に置かれる側とのあいだに緊張が生まれます。中世の大学は学問のギルドとして教師と学生の集団を組織しました。ボローニャで生まれた最初の形では、構成員であること自体が学ぶ資格でもありました。しかし集団が制度化されると、誰を仲間に入れ、誰を外に出すかという判断は不可避になります。パリ大学が神学の中心として権威を確立した過程も、学位という通行手形を持たぬ者を門の前に立たせる仕組みの形成でもありました。

この門は、思ったほど厳格ではありませんでした。歴史をたどると、すり抜けてきた人々の存在が目につきます。僧院学校で育った知識人たちは、大学以前の学問の担い手でしたが、大学が主流になった後も、修道院の図書室という門の外の場から学問を続ける者は絶えませんでした。制度の外に身を置きながら、中の学問に寄与し、時には挑む人々です。門は設けられたその時から、実はすり抜け可能だったのです。

もう一つの変質は、門そのものの性格の変化です。ギルドとしての大学は、もともと内部の自律を守る防壁でした。仲間が仲間を認定し、外の権力から知識の自由を守る。ところが学位が社会的な信用を獲得すると、門の意味が変わります。守るための壁が、外から見れば「入らないと損をする」見返りの壁になり、内から見れば管理される境界になりました。資格を与える機関が、資格によって人を縛る機関へとずれていくのです。

示唆的なのは、すり抜けようとする人々が常に門の意味を問い直してきたことです。外で学ぶ者が制度の権威を相対化し、門を守る論理も単純ではいられなくなる。囲い込みと越境のこの往復運動こそ、大学という制度が存続してきた動力だと考えられるでしょう。門が厳格であれば疑うエネルギーが蓄えられ、緩めば制度の独自性が問われる。この矛盾を抱えたまま、塔は変質し続けてきました。

白いテントの下に人々が集まる大学の屋外イベント。キャンパスの中で学びの場を広げる学生たちの姿が、塔の外へ知をすり抜けさせる動きを想起させる。
白いテントの下に人々が集まる大学の屋外イベント。キャンパスの中で学びの場を広げる学生たちの姿が、塔の外へ知をすり抜けさせる動きを想起させる。

(写真: Ariel University - Campus radio and the Students — Yagasi / CC BY-SA 3.0, Wikimedia Commons)

未来人への注釈——なぜ我々はまだ塔に学びに行くのか

大学という制度が、未来から来た人物の目にどう映るかを想像してみたいと思います。知識を囲い込み、資格で門を守る塔。その原型は、ボローニャで1088年に知識人の組合として始まったとされます。当時のギルドは、自分たちの営みを守るために仲間の承認を何よりも重視しました。学生を集め、教える者と学ぶ者が互いに規約を結び、外の権力からある程度の自律を確保する。それが大学の始まりでした。

この構造を冷ややかに見れば、ただの身分団体にすぎないかもしれません。門番がいて、通行手形としての資格があって、中に入れない者は外から眺めるだけ。パリ大学が教師たちの団体として発展したように、囲い込みは知の質を保つ防御でもありましたが、同時に排他の壁でもあったはずです。

それでも、千年近くを経た今も我々は塔に学びに行きます。理由の一つは、囲い込みが知識に信頼の刻印を与えるからだと思います。誰でも主張できる知識と、一定の検査を通った知識とでは、受け手の負担がまったく違います。門を守ることが、逆説的に外の世界との約束になっているのです。

もう一つの理由は、塔の中が完全には閉じていないからです。僧院学校の時代から、知の伝達は必ずどこかのすき間を通って広がってきました。門は固めるほど、すり抜けを生む。この緊張関係こそが、制度を長く生かし続けてきたと考えられます。

起源をたどると、現代の資格社会もまた、ギルドの論理の延長上にあります。ですから未来人の注釈はこうなるでしょう——あの塔は壁ではなく、内外を結び直し続けた緩やかな契約だった、と。ここから先の解釈はあくまで私の提案ですが、起源を知ることは、現在の門の在り方を問い直す確かな材料になると私は考えています。

すりガラスの入った木製の両開き扉に学生組合の名が掲げられた入り口。閉ざされた門の姿が、大学という制度の内と外の境界を静かに物語る。
すりガラスの入った木製の両開き扉に学生組合の名が掲げられた入り口。閉ざされた門の姿が、大学という制度の内と外の境界を静かに物語る。

(写真: Scarborough Campus Students’ Union Office @ UTSC — Silver Dovelet / CC BY-SA 4.0, Wikimedia Commons)

『現代古代史』編集部

元記事: https://note.com/keity717/n/n3528c289ffea