【芸術って何だろ? #679】Mavis Pusey『Restless: From the Collection of Ian White』ベントン美術館で開催 — コレクターの名を冠した展示は「忘れられた抽象」とどう再会するか
ベントン美術館で開かれる「Restless」展 —— Mavis Puseyという画家の再発見
本節では、ベントン美術館で開催される「Restless: From the Collection of Ian White」展を取り上げます。これは画家Mavis Puseyの作品を、コレクターであるイアン・ホワイトの所蔵品を通じて紹介する展示です。
Mavis Puseyという名前は、抽象絵画の歴史をたどる上で、あまり広く知られた存在ではないかもしれません。美術史の中で一時期注目されながら、その後長く語られにくくなった画家たち、いわば「忘れられた抽象」と呼びうる系譜があります。Puseyの仕事は、まさにその再発見の文脈で捉えられる可能性を持っています。
注目すべきは、展示のタイトルにコレクターの名が添えられている点です。「From the Collection of Ian White」——作品を誰が集め、どの眼差しを通して今日に届けたのかが、題名そのものに刻まれています。画家個人の再評価の物語は、ひとりの人間の蒐集の営みと切り離せないかたちで現れているのです。
私自身はこの展示を直接見ていないため、出品作品の内容や構成については述べられません。ただ、展覧会が「再発見」の場として機能するとき、見る者は作品の鑑賞にとどまらず、なぜその画家が忘れられ、いまなぜ再び取り上げられるのかという問いへと誘われるはずです。
ベントン美術館で開かれるこの展示が、Puseyの絵画と観客との新しい出会いの入り口となるかどうか。その問いを手がかりに、次節以降では蒐集と展示をめぐる仕組みを眺めていきます。開催期間などの詳細は、美術館の公式情報をご確認ください。

イアン・ホワイトのコレクション —— 「忘れられた抽象」を集めた人物のまなざし
Mavis Puseyという画家の名前が、コレクターの名前と並んで展示の題に添えられている——ベントン美術館の「Restless: From the Collection of Ian White」展は、その並置そのものがひとつの物語を語るように見えます。紹介される作品はIan Whiteが集めたコレクションであり、彼のまなざしがあったからこそ今日、私たちの目に届いています。
「忘れられた抽象」という言い方が示すのは、かつて描かれながら長く顧みられなかった抽象絵画の系譜です。ただし、なぜ忘れられ、どうして再び注目されるのかという経緯は、この資料からは確認できません。分かるのは、忘れられたはずの作品が、個人の収集という営みをとおして残り、美術館に引き継がれたという事実です。
コレクターとは何をしている人なのでしょう。作品を買い集める行為の裏には、「これは残すべきだ」と判断するまなざしがあります。時代が一人の画家に注目していなくても、その絵に価値を見出して手もとに置き続ける——その静かな選別の積み重ねが、後の「再発見」を可能にするのかもしれません。これはあくまで私の推測ですが、コレクターとは、美術の記憶を保管してくれる存在だと考えられます。
また、展示の題にコレクターの名が冠されている点も見過ごせません。画家だけでなく集めた人物の名が公開の場に残ることで、作品の来歴そのものが展示の一部になります。誰の目を経てここに来たのか。この展覧会は、そう問いかけているように私には読めます。

コレクターの名を冠する展示が問いかけるもの —— 寄贈と記憶の仕組み
美術館の展示タイトルに、美術作家ではなくコレクターの名前が付くことがあります。「Restless: From the Collection of Ian White」もその一つで、Mavis Puseyという画家の作品を集めたイアン・ホワイトのコレクションが、展示の前提として名前を刻んでいます。
一見すると地味な命名に思えますが、この慣行には絵画がどう残されるかの仕組みが表れています。作家の死後や市場の移動のなかで作品は点在し、それを意図を持って集める人物がいなければ、まとまったかたちで見直される機会は生まれにくいからです。寄贈や寄託によってコレクションが美術館に渡ると、散らばっていた作品が再び並び、批評や研究の対象としての命を取り戻します。ホワイトが「忘れられた抽象」を集め続けたこと自体が、Mavis Puseyの再評価への道を開いた、と考えられます。ただしこの点は、展示の成り立ちから読み取れる解釈です。
一方で、コレクターの名が冠されることには問いも伴います。誰のまなざしを経て残るかで、記憶される作品の輪郭が変わるのではないか、という問いです。コレクターの選択は助けにもなりえますが、同時に一つの人物の趣味というフィルターでもあります。展示のタイトルに名前を付すことは、そのフィルターを隠さず明示する行為だと言えそうです。寄贈が美術館とコレクター、そして後世の見る者を結ぶ仕組みである以上、名前の表示は感謝の記録であると同時に、この見せ方が誰の視線によっているのかを見る側に思い起こさせる装置なのです。

赤い服を着た女性が立つティツィアーノの肖像画で、隣の浮き彫り像との対比が画面の見方を問いかける一枚です。
(写真: Titian - Portrait of a Lady (‘La Schiavona’) - Google Art Project — Titian / Public domain, Wikimedia Commons)
見る側にできること —— 抽象絵画との静かな再会
「芸術って何だろ?」今回取り上げるのは、Mavis Pusey『Restless: From the Collection of Ian White』がベントン美術館で開催されるという展開です。コレクターの名を冠した展示を通じて、いわば「忘れられた抽象」と再会する機会は、鑑賞のしかたを考え直すよいきっかけになるのではないでしょうか。まずは絵の前で立ち止まることから始めてみてはどうでしょうか。抽象絵画は、具体物を探すより先に、色や線の動き、画面の広がりをそのまま感じるほうが、むしろ素直に向き合えるように思います。時間をかけて見るほど、最初は判然としなかった画面が、自分の中の何かを静かに呼び起こしてくることがあるかもしれません。見るときのしかたとして提案できるのは、大きい画面を全体で受け止めてから、細部へ目を近づける順番です。筆の速さや重なりが見えてくると、画家がその場で判断しながら描いた痕跡が、見る者にも伝わってくる可能性があります。これらはあくまで提案であり、こうでなければならない決まりではありません。もう一つは、言葉の整理です。見たものを自分の言葉で言い直すと、感じ取れたものとまだ捉えきれないものの輪郭がはっきりします。理解できない部分をそのまま残すことも、見ることの一部だと考えられます。さらにいえば、これまで接点のなかった画家や作品との出会いは、美術館という場だけでは完結しにくい面があります。図録や評論、本連載の記事など、言葉の助けを借りることも一つの方法です。ただし最終的に残るのは、画面そのものとの経験だと想われます。心に残った一枚があれば、機会があればもう一度その前へ戻ってみる。そうした小さな再会の積み重ねが、見る側にできる自然なかたちではないでしょうか。

丁寧に編まれた金髪と真珠、羽根の頭飾りを添えた女性の横顔を描いたボッティチェリの肖像画です。
(写真: Sandro Botticelli - Idealized Portrait of a Lady (Portrait of Simonetta Vespucci as Nymph) - Google Art Project — Sandro Botticelli / Public domain, Wikimedia Commons)
『芸術って何だろ?』編集部