【現代古代史 #157】住所という紐付け——動く人間を国家が追う住所という紐付けの技術
未来から見れば、人間を住所に釘付けにする習慣は奇妙に映る
未来の誰かが私たちの日常をのぞいたとき、いちばん理解に苦しむのは、住所という習慣かもしれません。人間は本来、移動する存在です。朝に家を出て、日中は職場や学校に身を置き、週末には別の町へ出かける。生活は時間の流れの中に散らばっているのに、私たちは動き続ける人間を、たった一つの固定された地点で表そうとします。未来から振り返れば、これはかなり奇妙な発想に映るのではないでしょうか。
考えてみれば、人は住所を持ちたがって生まれてくるわけではありません。生まれたばかりの赤ん坊に住所の感覚はなく、それは社会が後から与える標識です。にもかかわらず現代の私たちは、この標識がないと生活が立ちゆかないほど深く依存しています。口座を作るとき、オンラインの手続きをするとき、何かを受け取るとき、必ず住所が求められます。
住所の不思議な点は、あくまで「場所」の名前であって「人」の名前ではないところにあります。人と場所の結びつきは偶然の産物で、引っ越しをすれば標識はまるごと付け替わります。それでも私たちは、動く体に打たれた札としての住所を、本人そのもののように扱ってしまう。ここで住所を捉え直すなら、それは人を追跡するための技術の一種です。江戸の町は町割りによって人々の住む場所を定め、近代には住居表示が整えられて、住所はいっそう精密に人を地点へ結びつけるようになりました。国や社会が、絶えず動く個々の人間を確実に捉え、記録し、呼び出せるようにするため、動かない地点へ人を釘付けにする。そう見ると、住所という当たり前の習慣は、単なる暮らしの便利道具ではなく、人と場所を結ぶ管理の仕組みの入口として姿を変えて見えてきます。未来人が私たちを「住所で人を指し示していた時代の人類」と呼ぶ日が来ても、不思議ではないはずです。

江戸の町割りに始まる、人を場所で捉える発想
住所が人と場所を結びつける仕組みとして本格的に機能し始めた土台は、江戸の町割りに求められると考えられます。江戸の町は、武家地、寺社地、町人地といった身分ごとの区分を軸に整理され、町人地では街路を基準に町が区切られ、その町ごとにまとまりが作られていました。この町割りの特徴は、個々の人間を直接名指すのではなく、まず場所を細かく区切り、その区切りの内側に人を配置するという発想にあります。
町人地の住民は町組み織という組織を通じて管理され、町名はそこに暮らす人々の所属先を示す単位として働きました。つまり、この段階では「どこの町の谁か」という形で人が捉えられており、場所こそが人を特定する入口になっていたのです。幕府にとって町割りは、支配のための地理的な棚割りでもありました。場所を区切ることで、その内にいる人々の責任の所在を町ごとに確認できる。人間は常に移動しますが、町という枠は動きません。動く者を、動かない枠の側から捉えようとする構造が、ここにすでに見て取れます。
もっとも、江戸の町割りだけですぐに現代の住所制度が生まれたわけではありません。近代に入ると、国家が国民を把握する方法は整備され直されます。その変化の中で注目したいのは、紐付けの方向が少しずつ変わっていった点です。場所を区切り、そこに属する人々を町単位で把握する発想は受け継がれつつも、人は町という集団の構成員としてではなく、より個別の単位で記録されるようになっていきます。つまり人を場所で捉える基本の発想は江戸に起源を持ちながら、その後の時代で紐付けの精度と結び付き方が変質していった、と整理できます。起源を見るとき、住所は単なる案内の記号ではなく、人を位置として掴まえるための社会技術であったことが分かります。その変質の過程は、次のようにたどることができます。

小さな銘板に身をかがめる一人の老人。住所という場所の印が、かつては個人の運命と直に結ばれていたことを物語る。
(写真: Last Address Sign - Moscow, Plyushchikha Street, 9А (2021-08-29) 06 — David Krikheli / CC BY-SA 4.0, Wikimedia Commons)
戸籍と住居表示――紐付けは強化され、名前と場所は分離した
住所が国家の技術であるなら、その性格を最もはっきり示すのが戸籍と住居表示だと考えられます。ここからは、近代以降の制度が持つ二つの傾向をたどります。
一つは、人と場所の紐付けが強化されたという側面です。江戸の町割りが町という単位で人を把握しようとしたのに対し、近代の戸籍はもっと直接的に、一人ひとりの人生を住所と結びつけて記録する仕組みでした。出生から死亡まで、人がいつどこに属していたかが文書として残る。動く人間を、国家は書類の上で固定し、追跡できるようになりました。人を場所で捉える発想は、町の単位から個人の単位へと精度を上げていったのです。
もう一つは、名前と場所が分離したという側面です。近代の住居表示は、土地に一定の順序で番号を与える仕組みです。整備された地域では、番号は家の名刺のように機能し、郵便物を届け、訪問者を導きます。大事なのは、番号が示すのは人ではなく土地だということです。住む人が誰であろうと番号は変わらない。つまり住所は人間の名前を呼び出す鍵ではなく、空間の一点を指す記号になったのです。
この二つの傾向は、一見矛盾して見えます。戸籍が人と場所を強く結びつけた一方で、住居表示はその結びつきから人を外しました。しかし、これは矛盾ではなく分業だと考えられます。人を追う機能は戸籍に集中させ、物を届ける機能は住居表示に任せる。国家は同じ「住所」という言葉の中に、人間を縛る糸と、空間に目印を打つ釘を並べたのです。
現代の私たちが住所を書くとき、そこには土地の番号と、戸籍に記録された人間の生活の両方が重なっています。番号そのものは人を語らないのに、それと引き換えに国が人を把握できる。住所のこの二重性は、近代の制度設計が生んだものだといえるでしょう。

建物の前で何やら式の様子を見守る人々の集まり。場所に刻まれた記憶が、人々をそこへ集める力を持つことをうかがわせる。
(写真: Last Address Sign - Moscow, Plyushchikha Street, 9А (2021-08-29) 04 — David Krikheli / CC BY-SA 4.0, Wikimedia Commons)
未来人への注釈――動く人間を追う技術としての住所
未来の人たちが私たちの時代を振り返るとき、おそらく最も説明を要する習慣の一つは、人間を「住所」という固定された場所に結びつけて管理する仕組みではないでしょうか。人は本来、移動する存在です。仕事で遠くへ出かけ、引っ越しを重ね、時には海を越える。それにもかかわらず、私たちは書類の一枚ごとに住所を記し、その記載が変わるたびに更新を求められてきました。この節では、未来の読者に向けて、この一見奇妙な慣習の意味を注釈として書き添えておきたいと思います。
住所とは、いわば動く人間を追うための技術でした。江戸の町割りに見られるように、人々はまず町という枠の中に配置され、そこを基点に把握されてきました。町割りとは、空間を区切ることで住む人を区切る工夫でもあったと考えられます。この発想が近代になると、住居表示という形で整備され、人は住む場所を示すことで、登録された名前と結びつけられるようになります。国が人を数え、課し、守るためには、その人がどこにいるかを常に知る必要があり、住所はそのための最も基本的な道具として機能してきました。
未来の視点からすれば、これはあたかも人間の足に見えない糸を結び、その端を一枚の土地に固定するような営みです。糸の長さは引っ越しのたびに付け替えられ、人間は変わらず生きているのに、記録の上では住所という場所こそが本人を示す鍵として扱われてきたのです。場所で人を捉えるこの方式は、物流や行政の手続きを可能にした一方で、住所を持たない、あるいは定まった住まいを失った人を制度の網から漏らしやすいという側面も、私たちの時代にはありました。
つまり、住所とは単なる目印ではなく、動く人間を国家が追跡し続けるために発達した紐付けの技術だった、と未来人には注釈しておきたいのです。

『現代古代史』編集部