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やる気

やる気

やる気

出典: note.com / 2026-01-18

近ごろ人々を眺むるに、 何事を為さんとする気の起こらぬこと、 これまた一種の常態となりにけり。

衣食に追われ、明日を憂へて働きし頃は、 せめて「生きねばならぬ」という 粗末ながらも確かな理由が、 人をひそかに支へていたのである。

しかるに、時世移りて、 誰も彼もが半ば貴族の身の上のごとくなり、 命を綱うるための苦は遠のき、 生の外側はひたすら穏やかになった。 それは一見よろこぶべき進歩のごとく思える。

されど、いざ理由を失ひし時、 人の心はかへって脆いものにて、 何のために朝を迎え、 何ゆえに歩みを進めるべきかと 胸中に空洞を抱く。

意義を求めることが まるで呼吸のやうに必須となり、 ただ動くだけでは生きづらいと 感じる者が増えてきた。 これを文明の功罪と呼ぶべきか、 あるいは人間の性のなせるわざか、 そこは容易に断じ難い。

かく言ふ私もまた、 ある日ふと胸の底の虚を見つめ、 理屈を積み上げても最後には 「何でもない」という岸に行き着くのだと悟った者の一人である。

だが、不思議なことに、 その「何でもない」という地点は、 虚無ではなく、むしろ出発点であった。

意味は作るものにあらず、 選び取るものにあらず、 ただ、自らの歩みに沿って あとからそっと滲み出てくるものだと、 ようやく気づいたのである。

思へばこれは、 人生の長い坂道を登りつめて ふと振り返ったときに得る ささやかな発見に等しい。

ゆえに私は、 この静かな時代の淵に立ち、 こうして記しておきたい。

この考へに至ったことを、 ここにそっと付して、 筆を擱くこととする。


この記事は note.com から KTBLOG に移行されました。元記事: https://note.com/famous_prawn2009/n/n3b69355287fe