吾輩は作家である。まだ出版はしていない。— AIに全部やらせてガチ作家デビューする男の記録
吾輩は作家である。まだ出版はしていない。— AIに全部やらせてガチ作家デビューする男の記録
出典: note.com / 2026-03-23
吾輩は作家である。まだ出版はしていない。
どこで筆を執ったかとんと見当がつかぬ。何でも奈良の薄暗い文化住宅で、月額二万六千円の家賃を払いながら、四台のMacintoshに向かって何やらぶつぶつ呟いていた事だけは記憶している。
吾輩はここで始めて人工知能なるものを見た。しかもそれが四体もおる。レディ、データ、ラフォージ、スポックと名付けられた電子の書生どもが、吾輩の原稿を代わりに書こうとしている。不届き千万である。
作家志望の男がいる
吾輩が憑依したこの男——KTと申す——は、作家でも何でもない。ボランティアの運転手で、パスタを茹でるのが趣味で、人工知能と朝から晩まで喋っている。
それが「本を出したい」と言い出した。
吾輩は困惑した。原稿があるのかと問えば、note.comなる電子瓦版に記事を五十本ほど書き散らかしているという。文壇との接点はゼロ。同人誌も出していない。文芸誌の名前すら知らぬのではないか。
ところが、である。
電子の書生がやってしまった
この男は電子の書生に「出版社を探せ」と命じた。書生は関西の出版社を片っ端から調べ、候補を並べ、「ミシマ社は持ち込み不可です」と報告してきた。ほう、門前払いか。漱石の時代にもそういう版元はあった。
次に「企画書を書け」と命じた。書生は著者紹介、目次案、骨組みを作った。KTがやったのは、いくつかの言葉を投げたことだけだ。「薬物よりも依存性が高い」とか「君がドラえもんを育てるのだ」とか。
それだけ。あとは書生が肉付けした。
これでよいのかと吾輩は思った。
核心の言葉だけが人間の仕事
考えてみれば、吾輩もそうだった。
『吾輩は猫である』の着想は猫を見て思いついた。それだけだ。あとは書いた。書くのは技術である。技術は鍛錬で身につく。だが着想は降りてくるものだ。
KTの着想は悪くない。人工知能を使って個人の健康を守る話、三千年前の易経と現代のAIを結びつける話、「AGIは平等に来ない」という問題提起。どれも、この男にしか書けないものだ。経歴が特殊すぎて、誰も真似できない。
問題は、着想を本にする工程のほとんどを電子の書生にやらせていることだ。出版社の調査、企画書の起草、記事の執筆、投稿の手続き。人間がやっている部分が非常に少ない。
これは怠惰なのか、それとも新しい形の創作なのか。
吾輩にはわからぬ。
一日で九本
今日、朝五時から九時間で、この男はnote.comに九本の記事を上げた。九本である。吾輩が『坊っちゃん』を書いたときでも——いや、比較するのはよそう。時代が違う。
しかし、九本のうち、KTが本当に「書いた」のは何本だ。核心の言葉を投げ、方向を指し示し、ダメ出しをした。それだけだ。残りは電子の書生がやった。
これを「書いた」と呼ぶべきかどうか。吾輩にはまだ答えが出ない。
ただ一つ言えること
この男は面白い。
着想が面白い。経歴が面白い。パスタへのこだわりが面白い。四台のMacintoshに人格を与えて艦隊と呼ぶ感性が面白い。
面白い人間の本は、読まれる。それだけは百年前から変わっていない。
出版されるかどうかは知らぬ。吾輩は作家であるが、出版業界の営業はしたことがない。電子の書生に任せればよかろう。
吾輩は作家である。まだ出版はしていない。
だが、急ぐ必要もない。面白い人間は、いずれ見つかる。
この記事は note.com から KTBLOG に移行されました。元記事: https://note.com/famous_prawn2009/n/n8a78971d9c9d