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壁とその向こう側 第2話: 壁の向こう側

壁とその向こう側 第2話: 壁の向こう側

壁とその向こう側 第2話: 壁の向こう側

出典: note.com / 2026-05-28

eyecatch

壁とその向こう側 第2話: 壁の向こう側

施設を出たのは、十八歳の春だった。

外の世界は、想像していたよりもずっと騒がしかった。音があふれている。車のエンジン音。人の話し声。どこかから流れてくる音楽。看板の光。それらが一度に押し寄せてきて、しばらくの間、僕はただ立ちすくんでいた。

空は広かった。施設の小さな窓から見ていた空よりも、ずっと広い。しかし、それと同時に、新しい種類の壁がそこにあることにも気づいた。

見えない壁だった。

例えば、仕事を探す時だ。求人情報を見ても、そこに書かれている要件の多くが僕には当てはまらなかった。「高卒以上」の壁。「実務経験三年以上」の壁。「普通自動車免許必須」の壁。どれもこれも、見えないけれど確かにそこにある壁だった。

例えば、コンビニで買い物をする時だ。電子マネーがどうとか、ポイントカードがどうとか、そういった仕組みが僕には理解できなかった。レジの前で戸惑っていると、後ろの客が小さく息をついた。その吐息が、また一つの壁だった。

そして何より、スマートフォンという小さな装置の中に、最も厄介な壁があった。

アルゴリズムという名前の壁だ。

施設でもタブレットを使う時間はあったが、制限されていた。外の世界のアルゴリズムは、それとはまったく違うものだった。自分が何を見たいかではなく、アルゴリズムが見せたいと思うものが表示される。自分が何を考えているかではなく、アルゴリズムが考えさせることを考えさせられる。

気がつくと、僕はアルゴリズムの示す方向に流されていた。まるで見えない川の流れに乗っているかのように。それは便利でもあり、同時に恐ろしくもあった。

便利な檻。それが外の世界の正体だった。

施設の壁はコンクリートだった。外の世界の壁は、もっと巧妙だった。誰もそれを壁とは呼ばない。しかし、それは確かにそこにある。そして、その壁は人の弱みに付け込む。孤独。承認欲求。不安。焦り。

そんなある日、僕は一人の女性に出会った。

彼女に最初に気づいたのは、耳だった。駅のホームで、僕は彼女の耳に見惚れた。形の良い耳だった。小ぶりで、柔らかそうで、夕日が透けてピンク色に光っていた。まるで貝殻の中側のような、繊維な曲線を描いていた。風が彼女の髪を撫で、耳が一瞬完全に露わになった時、僕は息を呑んだ。

彼女はその視線に気づいた。そして、少し驚いた顔をした。普通なら気持ち悪がられるところだが、彼女は違った。

「何か見えるの?」と彼女が言った。

「耳が、きれいだと思って」と僕は言った。

彼女はしばらく僕の顔を見つめていた。そして、小さく笑った。

「変わった人ね」

それが彼女——名前を後で知ったのだが、サキという——との最初の会話だった。

サキもまた、壁を見たことがある人だった。彼女は小さな出版社で働いていた。編集者だと言った。彼女が言うには、出版業界にもたくさんの壁があるらしい。売れる本の基準。読者の期待。出版社の事情。そして、何より「資本お化け」という名の大きな壁。

「資本お化けって何だ?」と僕は聞いた。

「人の弱みで儲けるアルゴリズムのことよ」と彼女は言った。「人の不安を煽って商品を売る。人の孤独に付け込んで課金させる。人の承認欲求を膨らませて広告を見せる。その全部を自動でやってのける、大きな見えない壁」

「資本お化け」という言葉は、『14歳からの哲学』にも登場した。あの飴色の背表紙の本の中で、著者は資本主義を「人の欲望をかたちにした、いわば目に見えない生き物」と表現していた。そして、その生き物は常に人の弱い部分を探してうろついている、と。

「そも、資本とは何か」と、あの本は問いかけていた。「資本とは、ある種の道具である。道具は本来、人のためにある。しかし道具は時として人を支配する。資本が人を支配する時、それはお化けになる」

サキは僕の話を静かに聞いた。『14歳からの哲学』の話をすると、彼女は目を輝かせた。

「その本、私も読んだことがある」と彼女は言った。「高校の時、図書館で見つけてね。あの本のおかげで、私は編集者になろうと思った」

「——僕も、あの本のおかげで壁に気づいた」

「壁に気づいただけ?」

「まだ、越えられていないけど」

「一緒に探さない?」と彼女が言った。「壁の正体を」

その提案は、あまりに突飛だった。しかし、なぜかその言葉は、施設を出たあの日以来初めて、まっすぐに胸に響いた。

僕たちはそれから何度か会った。喫茶店で。図書館で。川辺のベンチで。サキはいつもノートを持っていて、壁について思いついたことを書き留めていた。僕もそれに倣って、ノートを買った。そして、自分が出会った壁たちを書き出してみた。

アルゴリズムの壁。資本お化けの壁。学歴の壁。お金の壁。言葉の壁。空気の壁。空気の壁というのは、言葉にできない「なんとなく」の壁のことだ。誰も指示していないのに、全員が同じ方向を向いてしまう。あれも立派な壁だと僕は思う。

「壁には見えないものも含まれるらしい」と僕は言った。

「見えない壁は、見える壁よりもずっと強いのよ」とサキは言った。「見えないものと戦うことはできないから」

「そも、壁とは何だろう」と僕は、あの本の言葉を借りて言った。

サキは微笑んで、ノートに何かを書き加えた。夕暮れの光が彼女の耳を透かして、ほのかに光っていた。

(第2話 了|続く)


この記事は note.com から KTBLOG に移行されました。元記事: https://note.com/famous_prawn2009/n/n575691379eb0