多聞山に燃ゆ — 一:洛外の男
一——洛外の男
久秀の噂は京中に広まった。彼は人を殺すことに躊躇がなかった。目的のためならどんな手段も使った。しかし彼には茶の湯という別の顔があった。茶室の中では彼は別人になった。穏やかな物腰。丁寧な動作。茶を愛する心。その二つの顔を持っていたからこそ久秀は戦国の世を生き抜くことができた。裏の世界と表の世界。その両方で彼は頂点を極めた。彼ほど恐れられると同時に尊敬された武将はいなかった。人々は彼を霜台と呼んだ。霜のように冷たい男。しかしその霜が融ける瞬間が、茶室の中にはあった。茶釜の湯が沸く音を聞くときだけ、彼の目の鋭さが和らいだ。その瞬間を知る者は、側近の中でもほんのわずかだった。久秀を知れば知るほど、彼の二面性に人々は惑わされた。
久秀の暗躍は京の都を震撼させた。彼の名前を聞いただけで人々は震え上がった。久秀の情報網は京中に張り巡らされていた。何をしていつどこで誰に会ったか。すべてが久秀の耳に入った。京の町には久秀の間者がひそんでいた。公家の屋敷にも、寺社の中にも、町人の家にも。彼の耳を逃れる情報はなかった。彼の恐ろしさは武力だけでなく情報力にあった。敵の動きを先読みし先手を打つ。それが久秀の戦い方だった。彼の策謀は緻密で抜け目がなかった。一度企てたことは必ず実行した。彼の手から逃れられた者は少なかった。茶の湯の席でも久秀は油断しなかった。茶室は戦の場と同じだった。相手の心を見抜く。策略を巡らせる。彼の茶の湯は戦そのものだった。だからこそ彼の茶は美味かった。命をかけた茶は普通の茶とは違う。そのことを知る者は少なかった。
松永弾正久秀が歴史の表舞台に現れたのは天文年間のことだった。それ以前の彼は闇の中にいる。出身も生年も定かではない。阿波国の生まれとも京都の出身とも言われる。父は誰か。どのような家に育ったのか。すべてが諸説入り乱れて確かなことは何も残っていない。久秀の前半生の史料はまったくない。彼はある日突然歴史上に姿を現した。まるで闇の中から立ち上がったかのように。彼という存在は空白から始まっている。その空白が彼をより一層謎めいた存在にしている。人々は彼の出自を知らないからこそ彼を畏れた。何も知らないということは何をされてもおかしくないということである。久秀は自分の過去を決して語らなかった。その沈黙が、彼の伝説をより大きなものにした。彼の周囲には常に噂が渦巻いていた。真実かどうかは問題ではなかった。噂そのものが彼の武器だった。人々が彼のことを語れば語るほど、彼の存在は大きくなった。
ただ一つ確かなのは彼が三好長慶という男に仕え知略と行動力で急速に頭角を現したという事実だけである。長慶は当時畿内で最も力のある武将だった。久秀の出自が不明であることは彼の伝説を不可解なものにしている。公家の落胤だと言う者もいた。商人の子だと言う者もいた。しかし久秀自身は自分の出自について語らなかった。彼にとって重要なのは現在と未来だけだった。過去はもう過ぎ去ったものだ。彼は常に前を見ていた。その視線の先には常に次の獲物があった。久秀は背の高い男だった。痩せていた。顔色は浅黒く目だけが異様に鋭かった。人と話すとき相手の目をじっと見た。その視線に耐えられる者は少なかった。彼はほとんど笑わなかった。笑うときも目は笑っていなかった。彼を知る者は皆口を揃えて言う。あの男の目は別の生き物の目だと。人間の目ではない。何か別のものの目だと。彼の目を見た者は、その冷たさを生涯忘れることはなかったと言う。
長慶は久秀を重用した。久秀には戦の才があった。人を動かす才があった。そして何より悪を厭わないという才があった。長慶自身も決して聖人君子ではなかった。しかし久秀の前では自分が甘いように思えた。久秀にはためらいがなかった。一切の躊躇がなかった。長慶はそのことを恐れながらも利用した。利用できるものは何でも利用する。それが戦国の世の掟だった。久秀は京都で次々と暗躍する。細川氏の内紛。将軍足利義輝の暗殺。敵対する勢力の根絶。久秀の手は血で染まっていった。彼は政治的駆け引きと軍事行動を一つの流れとして捉えていた。敵を殺す。敵の味方を買収する。敵の城を落とす。すべては同じ目的のための手段だった。善悪という概念は彼の中には存在しなかった。ただ目的を達成するかしないか。それだけのことだった。だからこそ彼は強かった。迷いがなかった。彼の行動には常に一貫性があった。目的のためならば手段を選ばない。その姿勢は終生変わらなかった。久秀の人生は一貫していた。初めから最後まで、彼は久秀であり続けた。
久秀は茶の湯を好んだ。千利休と同時代のもう一人の茶人だった。茶の湯の世界では彼は霜台と呼ばれていた。霜のように冷たい男という意味だった。人々は彼の茶の湯の腕前を認めながらもその冷徹さを恐れた。久秀の点てる茶は美味い。しかしその茶を飲むとき人々はなぜか背筋が冷えた。美味い茶の向こうに何か別のものが見えるような気がした。それは恐怖だった。茶室での久秀は、戦場での久秀とは別人だった。しかしその別人もまた真実の久秀の姿だった。彼の茶室に招かれることは名誉であると同時に危険でもあった。彼は名物茶器を蒐集した。手に入れるためには手段を選ばなかった。金を使うこともあれば脅すこともあった。時には戦で奪うこともあった。茶器を愛することとそれを奪うことは彼の中で矛盾しなかった。愛するからこそ手に入れる。それだけのことである。名物は持つべき者が持つべきだ。自分こそがその器にふさわしい。彼はそう信じていた。久秀の手元には九十九髪茄子、松島茶壺、新田肩衝などの名物が集まった。一つ一つにそれぞれの来歴があった。それらを手に入れるたびに久秀は一人で茶室にこもった。新しい茶器で茶を点てその味を確かめた。新しい器の最初の一服はいつも独りで飲んだ。その中でも彼が特に愛したのが平蜘蛛の茶釜だった。釜の表面に刻まれた蜘蛛の巣模様は、彼自身の人生の軌跡のようでもあった。
久秀は若い頃、京都の寺社で学んだとも言われる。しかし確かなことは何もない。ある伝承によれば、彼は最初、三好長慶の馬廻り衆の一員だった。馬の世話をする下級武士だった。そこから這い上がった。その過程で彼は多くのことを学んだ。人の上に立つ方法。人を動かす方法。そして人を殺す方法。彼はすべてを独学で身につけた。師はいなかった。彼自身が自分の師だった。
久秀の才覚はとりわけ民政に現れた。彼は大和の支配者として、検地を行い、税制を整え、道路を整備した。彼の治めた地域は、戦国時代にあって比較的安定していた。人々は彼を恐れたが、同時に彼の治世の安定に感謝もした。その矛盾が久秀という男の本質だった。怖れるべき主君であり、同時に頼るべき主君でもあった。
久秀の名声は京都中に響き渡った。彼の名を知らぬ者はなかった。茶人としても武将としても、彼は一つの頂点を極めた。その二つは彼の中で決して分離しなかった。茶室も戦場も、同じ男の生きる場所だった。
久秀はすべてを手に入れた。金も、権力も、茶器も。しかし何も彼を満たさなかった。ただ一つ、平蜘蛛の茶釜だけが、彼の心の空洞を埋めた。 その釜こそが、彼の人生そのものだった。 誰もそれを理解できなかった。