多聞山に燃ゆ — 七:謀反の火
七——謀反の火
久秀の二度の謀反はいずれも失敗した。しかし彼は決して諦めなかった。信長に許された後も彼の心は決して信長にはなかった。彼は忠臣を装いながら次の機会を探っていた。その執念は並大抵のものではなかった。久秀という男は最後まで久秀であり続けた。誰の家臣にもならなかった。
信長に従ってから久秀は多くの戦に出た。河内攻め。伊勢攻め。越前攻め。久秀は信長の先鋒として戦った。槍を取った。兜を被った。馬に乗った。彼の姿はどこから見ても忠実な武将だった。しかし彼の心は別の場所にあった。戦場で刀を振るいながらも久秀の頭の片隅には常に次の謀反の計画があった。ある夜の陣中。久秀は一人で酒を飲んでいた。傍らに平蜘蛛の茶釜があった。陣中にも彼はこの釜を持ち歩いた。手放せなかった。酒の味は苦かった。
元亀四年。久秀は信長に叛いた。理由は定かでない。信長の支配に耐えられなくなったのか。あるいは信長の力が衰えると見たのか。久秀は将軍足利義昭に呼応して挙兵した。義昭は信長と対立し全国に信長討伐の呼びかけを行っていた。久秀はそれに応じたのである。久秀の謀反は唐突だった。しかし彼なりの計算があった。将軍義昭を旗頭にすれば信長を孤立させることができる。久秀はそう考えた。しかし彼の計算は狂い始めていた。信長の勢力は思ったよりも大きかった。
最初の謀反の知らせは冬の朝に届いた。多聞城の門が閉ざされた。久秀の旗が城壁に翻った。信長の陣営に動揺が走った。信長はその報を聞いて笑ったという。「弾正め、やはりか。」その笑顔は冷たかった。信長はすぐに軍を動かした。滝川一益を先鋒とした。総勢五千の軍が大和に向かった。久秀はその情報を聞いた。顔色を変えなかった。ただ「来たか」と言っただけだった。
久秀は多聞城を出た。信貴山城へ移った。信貴山は奈良と大阪の境に位置する山だった。万が一の時のための隠れ城だった。彼は常に逃げ道を用意していた。それが彼の生き残る術だった。信長はすぐに反応した。久秀の息子久通が多聞城に籠もる。信長軍は多聞城を攻撃した。先鋒はかつて久秀の部下だった者たちだった。皮肉な巡り合わせだった。久秀に育てられた者たちが久秀の城を攻める。久秀はその知らせを聞いても何も言わなかった。
多聞城の戦いは激しかった。城の周囲には幾重もの柵が巡らされていた。空堀は深く掘られていた。石垣は高く積まれていた。攻め手はまず柵を破ろうとした。矢が飛んだ。鉄砲の火線が交錯した。煙が視界を遮った。死者が次々と倒れた。攻め手の屍が空堀を埋めた。それでも攻め手は止まらなかった。梯子がかけられた。城兵は石を落とした。熱湯を浴びせた。叫び声が響いた。鉄の匂いが立ち込めた。久秀の設計した城はよく戦った。
多聞城はよく耐えた。石垣は攻め手を跳ね返した。空堀は敵の足を止めた。久秀が設計した城はその真価を発揮した。攻め手は何度も梯子をかけたがそのたびに跳ね返された。城は久秀の意志を今なお体現していた。しかし兵力の差は火を見るよりも明らかだった。多聞城を包囲する織田軍は五千。籠もる兵は五百にも満たない。十日が経った。二十日が経った。兵糧が尽き始めた。水も限られてきた。城中には疲弊した兵士たちの姿があった。
ある日の夕暮れ。久通は城壁の上に立った。西の空が赤く染まっていた。その赤は血の色だった。久通は遠くを見つめた。信貴山の方向だった。父は今何をしているのか。茶でも点てているのか。久通には父の考えが理解できなかった。なぜ信長に叛いたのか。なぜ多聞城を捨てたのか。しかし問うことはできなかった。父は決して答えなかったからだ。久通は口を引き結んだ。そして城壁を下りた。その夜、彼は降伏を決意した。
久通は降伏した。多聞城は信長の手に渡った。城を明け渡すとき久通は父に宛てて使いを出した。文にはただ一言こう書かれていた。「城を失いました。」久秀はその知らせを無表情で聞いた。彼は信貴山城の茶室に坐っていた。平蜘蛛の茶釜が炉にかかっていた。湯が静かに沸いている。彼は何も言わなかった。文を炉の中に差し入れた。紙が燃えた。灰になった。彼はその灰をじっくりと見つめていた。久秀は信長に降伏した。信長は久秀を許した。久秀の持つ情報と人脈はまだ有用だったからである。しかし久秀の心はもう信長にはなかった。
久秀は多聞城を失った後もなお野心を失わなかった。信長の前で頭を下げながらも彼は次の機会を狙っていた。しかし時間は味方しなかった。信長の勢力は拡大する一方だった。久秀の焦りは日ごとに募った。茶を点てる手にも力が入った。その緊張を感じ取って平蜘蛛の茶釜はいつもより深い湯気を立てた。
信長に許された後、久秀は再び忠臣を装った。信長の命令で高野山との交渉に当たった。信長の使者として諸国を回った。彼の働きは的確だった。信長も一定の評価をしていた。しかし二人の間の溝は埋まらなかった。ある日、久秀は信長に呼び出された。信長は久秀に言った。「弾正、お前の目はまだ死んでおらぬな。」久秀は答えなかった。信長は続けた。「よい目をしておる。その目でまた何かを企んでおるな。」久秀は頭を下げた。「滅相もございません。」しかしその夜、久秀は一人で笑った。信長は自分を見抜いている。しかしそのこともまた久秀にとっては愉快だった。見抜かれていることを知りながら謀反を企む。その緊張感が彼の血を沸かせた。
天正五年。久秀は三度目の謀反を決行した。今度は後戻りできないことを知りながら。信貴山城に立てこもった。周囲の国人に呼びかけた。しかし応じた者は少なかった。人々は信長の強さを知っていた。久秀に従えば滅ぼされる。誰もがそう思った。久秀の周りには僅かな側近しかいなかった。かつての栄華は完全に消え去った。信貴山城の秋は早かった。木々が色づき始めた。冷たい風が吹いた。久秀は城の庭に出た。落ち葉が舞っていた。一枚の葉が彼の肩にとまった。彼はそれを手で払った。葉は風に舞い上がり、谷に消えた。
信長は久秀の二度目の謀反を予想していた。だからこそ久秀を見張らせていた。しかし久秀は巧妙だった。信長の目を欺いて兵を集めた。密かに信貴山城に兵糧を運び込んだ。すべては次の謀反のためだった。久秀は信長に許された後もひそかに準備を進めていた。茶会を開き人脈を広げた。情報を集めた。そして時を待った。天正五年。その時が来た。久秀は三度目の謀反を決行した。今度は後戻りできないことを知りながら。
久秀の最初の謀反は失敗に終わった。多聞城を失ったことは彼にとって大きな痛手だった。しかし彼はまだ完全には敗北していなかった。信長に降伏することで命をつないだ。久秀は信長の前にひれ伏した。その時彼は何を思ったか。屈辱。怒り。あるいは次の機会への期待。久秀の心中は複雑だった。信長は久秀を許した。久秀の持つ情報と人脈をまだ必要としていたからだ。久秀はそれを利用した。またいつか必ず信長を裏切る。その決意を固めて。彼は信長の陣営に留まった。茶を点てながら次の謀反の機会を狙っていた。その目はまだ死んでいなかった。冷たい光を宿していた。
信貴山城に篭もってからの久秀は静かだった。茶室に入る時間が増えた。平蜘蛛の釜と向き合う時間が長くなった。ある日、側近が言った。「殿、降伏されてはいかがでしょうか。」久秀は答えなかった。しばらくして口を開いた。「この釜を見よ。この釜は決して焦げつかぬ。何度火にかけても変わらぬ輝きを放つ。」側近は意味がわからなかった。久秀はそれ以上何も言わなかった。ただ釜の湯が沸く音を聞いていた。その音は静かで確かだった。久秀はその音を聞きながら自分の最期を考えていたのかもしれない。いや、考えてはいなかった。ただ茶を点てていた。それだけだった。