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多聞山に燃ゆ — 十:爆音

多聞山に燃ゆ — 十:爆音

十——爆音

信貴山の爆発を聞いた人々は空が割れたと思った。あまりの轟音に鳥たちが一斉に飛び立った。久秀の最期はあまりに鮮やかだった。彼は自らの人生の幕を自らの手で引いた。誰の手も借りずに。それが彼の誇りだった。平蜘蛛の茶釜と共に散った男の物語は永遠に語り継がれる。

久秀の最期は多くの人の記憶に残った。茶器を抱いて爆死した男。その物語は時代を超えて語り継がれた。後世の文学や芝居の題材にもなった。人々は久秀の最期に美学を見た。単なる戦死ではない。茶と火薬。美と暴力。その両方を抱きしめて死んだ男。

久秀が爆死した後信貴山の山頂には深い静けさが戻った。織田軍の兵たちは黙って焼け跡を見つめていた。誰も声を発しなかった。風が吹き灰が舞い上がった。その灰の中に平蜘蛛の茶釜の破片が光っていた。一人の武士がそれを拾い上げた。破片にはまだ蜘蛛の巣模様が残っていた。その模様は決して消えることはなかった。武士はそれをそっと地面に置いた。久秀の物語はそこで終わった。

久秀の最期を伝える報せは日本中を駆け巡った。多くの者が驚いた。茶器を抱いて爆死した男。その壮絶な最期は語り草になった。久秀は自分の最後を自分で決めた。信長に屈するより爆死を選んだ。それが彼の美学だった。茶器と共に散る。彼にとってこれ以上ない最期だった。平蜘蛛の茶釜は二度と元の形には戻らなかった。破片は各地に散らばり今もなお見つかっているという。

爆発の後しばらくして信長の元に報告が届いた。「松永弾正爆死。平蜘蛛の茶釜もろとも。」信長はその報告を無表情で聞いた。しばらく黙った後彼は言った。「惜しいものを失った。」それがすべてだった。誰に向けての言葉か。久秀に対してか。あるいは平蜘蛛の茶釜に対してか。それは誰にもわからなかった。信長は久秀の最期をどう思ったか。記録には残っていない。ただ信長がその日普段より多く酒を飲んだことが伝わっている。久秀の爆死は戦国時代の一ページを飾る壮絶な最期として人々の記憶に刻まれた。茶器を抱いて死んだ男。その物語は後世まで語り継がれた。

夜明けとともに織田軍の総攻撃が始まった。城内の各所で火が上がった。兵士たちの叫び声が木霊した。矢が飛び交い鉄砲の音が山に響いた。煙が一面に立ち込めた。城中が地獄と化した。逃げ惑う兵。倒れる兵。それでも攻め手は止まらなかった。

久秀は本丸の最上階にいた。四層の高櫓の最上階。窓からは遠くの山々が見えた。東には多聞城のあった方向。あの城も今はもう敵の手にある。彼の長年の拠点はもう彼のものではなかった。彼の回りには火薬の樽が積まれていた。彼が自ら用意させたものだった。長年戦に生きてきた男の最後の備えである。樽は二十以上あった。それらが彼の周りを取り囲んでいた。

彼は平蜘蛛の茶釜を抱いていた。その表面の蜘蛛の模様が朝日を受けて鈍く光っていた。彼はその模様を指でそっと撫でた。何かを確かめるように。蜘蛛の巣の一番太い線を指の腹でなぞった。彼はろうそくの火を火薬の樽に近づけた。その時だった。爆発が起こった。轟音が山全体を揺るがした。火柱が空に向かって立ち上った。瓦礫が周囲に飛び散った。炎が本丸全体を飲み込んだ。爆風が山の木々をなぎ倒した。その衝撃は麓の村々にも届いた。数キロ離れた場所でもその轟音は大地を震わせた。

織田軍の兵士たちはその光景をただ呆然と見つめていた。攻撃の手が止まった。誰もが言葉を失っていた。鉄砲の音が止んだ。叫び声が消えた。ただ炎の音だけが聞こえていた。炎がすべてを飲み込んでいく音だけが。「松永弾正爆死せり。」その知らせは瞬く間に大和国中に広まった。信長の元にもすぐに届いた。信長はその報せを聞いて何と言ったか。記録には残っていない。

久秀の遺体は見つからなかった。あまりの爆発にすべてが粉々になっていた。ただ平蜘蛛の茶釜の破片だけが炎の中から見つかった。破片は四散していた。すべてを集めることはできなかった。最も大きな破片でも大人の手のひらほどしかなかった。それらは炎の中で真っ黒に焼けていた。蜘蛛の模様はその破片の一つ一つにまだ残っていた。炎の中でその模様だけは消えることなく残り続けていた。まるで蜘蛛が最後まで釜にしがみついているかのように。記録にはこう書かれている。「久秀名器平蜘蛛の茶釜を抱きて火薬と共に爆死す。年七十。」

爆発の直前のことは誰も知らない。久秀だけが知っている。彼は茶釜を胸に抱いた。その冷たさが胸に沁みた。しかしすぐに温かくなった。自分の体温が鉄に移ったのだ。彼は目を閉じた。そしてそのまま火薬に火をつけた。その瞬間、彼の口元には微笑みがあったという。見た者はいない。しかし伝説はそう語る。

火薬の樽は重なって積まれていた。一番下の樽に火がついた。炎は一瞬にして全ての樽に飛び移った。そして炸裂した。四層の高櫓は跡形もなく吹き飛んだ。石垣も崩れた。瓦礫は山の斜面を転がり落ちた。その音は数里先まで聞こえたという。多聞城のあった奈良の町でもその音を聞いた者がいた。何かが終わったと彼らは思った。そして実際に何かが終わった。

織田軍の指揮官織田信忠は馬上から爆発を見ていた。彼は手綱を握ったまま動かなかった。周囲の将兵も一様に沈黙していた。風が吹いた。その風は灰と煙を運んできた。灰が信忠の肩に降り積もった。彼はそれを払わなかった。しばらくして彼は口を開いた。「あれほどの男は二度と現れまい。」それが彼の久秀への評語だった。記録にも残っていない言葉だった。しかしその場にいた者の一人が後年書き留めていた。

爆発の後、信貴山の山頂には大きな穴ができていた。地面がえぐられていた。その周囲には焼け焦げた木片と瓦礫が散らばっていた。焼け跡からはまだ煙が立ち上っていた。熱気が地面から立ちのぼっていた。兵たちはそれでも近づいた。彼らの足の裏に熱が伝わった。そこには久秀の痕跡は何も残っていなかった。ただ一つ。焼け焦げた地面の真ん中に、小さな窪みがあった。それは茶碗の底のような形をしていた。誰もそれを指差さなかった。しかし誰もがそれを見た。

その日の夕方、信貴山の山頂に再び静けさが戻った。焼け跡からはまだ煙が上がっていた。秋の陽が傾き始めていた。信貴山の紅葉が焼け跡の黒と対照的だった。自然の美しさと人間の業の跡がそこにあった。時折風が灰を巻き上げた。その灰は空高く舞い上がり、やがて見えなくなった。久秀の魂魄もその灰と共に空へと昇ったのだろうか。それは誰にもわからない。

爆発の翌日、近隣の村々では噂が飛び交った。信貴山の松永弾正が自ら爆死したと。茶釜を抱いて死んだと。村人たちは山の方角を見た。煙はもう上がっていなかった。静かな山がそこにあった。しかしその静けさは普段とは違っていた。何か大きなことが起こった後の静けさだった。村の老婆が言った。「あの方は最後まで茶を離さなんだ。」老婆はかつて久秀が茶会を開くのを見たことがあった。その時の記憶が彼女の中でよみがえっていた。久秀の茶を点てる手つきが美しかったと彼女は言った。

織田軍の陣営では戦後処理が進められていた。死体の収容。武器の回収。城の破壊。信忠はそれらの指示を淡々と出した。彼の顔には疲れがあった。久秀の最後を見たことが彼の心に何かを残した。後に信忠は家臣にこう語ったという。「あの男は死に様一つで名を残した。」その言葉は信忠が久秀を認めていた証だった。しかしそれは後に語られた話である。

信貴山の山頂には長く焼け跡が残った。木々は焼け焦げ、地面は黒くなっていた。雨が降るたびに灰が流れ出た。春になっても草は生えなかった。何年もの間、その場所だけは何も育たなかった。平蜘蛛の茶釜の破片は時折見つかった。それを拾った者はそれを家宝として大切にした。しかし本物かどうかは誰にもわからなかった。破片は小さかった。蜘蛛の模様がかすかに見えるだけだった。それでも人々はそれを大事に持った。久秀という男の最後の証として。