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多聞山に燃ゆ — 四:大仏炎上

多聞山に燃ゆ — 四:大仏炎上

四——大仏炎上

永禄十年十月十日の夜。空は晴れていた。風が強かった。南からの風が奈良の町を吹き抜けた。久秀は多聞山城の高櫓にいた。彼は西の空を見ていた。そこには何もなかった。ただ暗い空があるだけだった。

その時、遠くで声が聞こえた。最初は小さな声だった。やがてそれは悲鳴に変わった。久秀は身を乗り出した。東の空が赤く染まり始めていた。最初は淡い赤だった。それが徐々に濃くなる。橙色。そして朱色。空全体が燃えるように赤くなった。

「大仏殿だ。」

側近の一人が呟いた。久秀は何も言わなかった。ただじっと炎を見つめていた。彼の顔は炎の明滅に照らされていた。影と光が交互に彼の顔を横切った。彼の表情は読めなかった。

炎の音が風に乗って聞こえてきた。ばちばちと木の燃える音。何か大きなものが崩れる音。人々の叫び声。それらが混ざり合って一つの大きな音となった。久秀はその音を聞いていた。彼の耳は微かな物音も聞き逃さなかった。側近たちはその横顔を見て息を呑んだ。久秀の頬を一筋の汗が伝った。拭おうとはしなかった。

永禄十年十月。東大寺の大仏殿が炎に包まれた。火は十月十日の夜半に出た。風が強かった。南からの風が炎を押し上げた。火は瞬く間に広がり巨大な大仏殿を一晩で灰燼に帰した。大仏殿は幅十一間奥行き十間。高さは十五丈を超える。天平勝宝四年に建立されて以来八百余年。その間一度も焼けたことのない日本最大の木造建築だった。先人たちの手で幾世代にもわたって守られてきた。その大仏殿が一夜で消えた。天平の昔から続いてきたものが一瞬で無に帰した。梵鐘は溶けた。千五百キロを超える青銅の塊が炎の熱でだらりと形を変えた。金色に輝いていた鐘の表面は黒くただれ溶けた青銅が地面に流れた。地面に流れた青銅は冷えて固まり不格好な塊になった。瓦は崩れた。一万枚を超える瓦が次々と落ちた。その下敷きになって多くの柱が折れた。そして大仏は炎の中に立ったままその肌を黒く焦がした。盧舎那仏の顔が炎に照らされて苦しげに見えた。まるでこの世のすべての苦しみを一身に受けているかのように。大仏の瞳は炎を映して赤く光っていた。大仏炎上の報せは京中に衝撃を与えた。人々はこの災厄を戦乱の世の象徴として受け止めた。僧侶たちは大仏の前で泣き崩れた。参詣に訪れた人々は黒く焦げた大仏の姿に戦慄した。盧舎那仏は何も語らなかった。ただ燃え尽きた伽藍の中で黙って立っていた。誰が放火したのか。久秀軍が放ったとも筒井軍が放ったとも言われる。諸説あり今も確定していない。しかし久秀が深く関与していたことは疑いようがなかった。久秀の兵が大仏殿の周辺に展開していた記録が残っている。彼らが火の始末をしていれば防げた火だった。久秀はそれを見逃した。あるいは火をつけさせた。真相は歴史の闇の中である。久秀は多聞山城の高櫓から東の空を赤く染める炎を見ていた。彼は何も言わなかった。ただじっと炎を見つめていた。その横顔は石のように動かなかった。彼の影が炎の明滅に合わせて壁に揺れていた。側近たちは誰一人として彼に声をかけることができなかった。何かを言えば自分がどうなるかそれがわかっていた。長い時間が過ぎた。やがて東の空が白み始めた。大仏殿は影も形もなかった。ただ焦土が広がるだけだった。焼け跡からは煙が立ち上り続けていた。その煙は三日間絶えなかった。久秀はその時初めて口を開いた。「茶を。」彼はそう言って茶室へ向かった。この日久秀は平蜘蛛の茶釜で一服の茶を点てた。そしてそれを独りで飲んだ。その茶がどのような味だったのか。誰も知らない。

炎が収まった翌朝、久秀は馬を走らせた。焼け跡へ向かった。彼は一人だった。供も連れなかった。馬を焼け跡の手前で止めた。彼は地面に降り立った。足の下には炭と灰が積もっていた。一歩歩くごとに灰が舞い上がった。焦げた匂いが鼻をついた。木の焦げる匂い。瓦の焼けた匂い。何か別のものの焦げる匂い。それらが混ざり合って強烈な臭気を放っていた。

久秀は焼け跡の真ん中まで歩いた。大仏がそこに立っていた。黒く焦げた大仏。朝日がそれを照らしていた。金色だった肌は黒く変わり果てていた。しかし大仏は崩れずに立っていた。久秀は大仏の真下に立った。見上げた。大仏の顔は黒く煤けていた。しかしその目は依然として開かれていた。久秀を見下ろしていた。久秀は長い間その場に立ち尽くした。動かなかった。何も言わなかった。風が灰を巻き上げた。灰が久秀の肩に積もった。彼はそれを払わなかった。

久秀の周りには焼け跡から集めた物が散らばっていた。溶けた瓦。炭になった柱の断片。黒く変色した金属の破片。彼はそれらを一つ一つ見た。しかし手に取ることはしなかった。ただ見ただけだった。そして大仏をもう一度見上げた。大仏の掌も黒く焦げていた。その掌に久秀は目を留めた。長い間見つめていた。何を思ったのか。誰も知らない。

その日の夕方、久秀は多聞城に戻った。彼の衣服からは焦げた匂いがした。彼は着替えもせずに茶室に入った。釜をかけた。湯が沸くのを待った。その間、彼は何も考えなかった。ただ湯の音を聞いていた。釜の湯がしゅんしゅんと鳴る。その規則正しい音だけが彼の耳に入ってきた。

久秀は大仏炎上の後しばらくの間酒を断った。その習慣は彼の人生で初めてのことだった。側近たちはその変化に気づいた。しかし誰も理由を尋ねなかった。久秀は何も語らなかった。ただ茶室にこもる時間が増えた。平蜘蛛の茶釜が彼の唯一の話し相手だった。釜は何も答えなかった。しかし久秀にはその沈黙が何よりの慰めだった。

久秀は大仏が燃えるのを黙って見ていた。その時の彼の心中を誰も知らない。しかし一つ確かなことがある。彼はその後決して大仏の話題を出さなかった。側近たちもその話題には触れなかった。それは禁句になった。久秀の心の奥で何かが変わったのはその時だったかもしれない。

久秀は大仏炎上のことを誰とも話さなかった。側近がそのことに触れようとすると彼は手を上げて制した。その話題は禁句だった。久秀は心の奥で何かを抱えていたのかもしれない。大仏を焼いた罪悪感。あるいは達成感。どちらにせよ彼は口を閉ざしたままだった。ただ茶室にこもって茶を飲み続けた。平蜘蛛の茶釜だけが彼の沈黙を受け止めた。

奈良の町は長く立ち直れなかった。大仏殿の喪失は人々の心に大きな穴を開けた。東大寺は千年近く奈良の象徴だった。その象徴が失われた。久秀への風当たりは強まった。人々は彼が火をつけたと信じた。久秀は何も語らなかった。弁明もしなければ否定もしなかった。ただ黙って茶を飲み続けた。彼の沈黙が人々の疑念を確信に変えた。久秀は東大寺を焼いた男として歴史に刻まれることになった。

焼け落ちた大仏殿の跡を人々は嘆き悲しんだ。長年信仰の中心だった場所が一夜で灰になった。奈良の町中が暗い空気に包まれた。僧侶たちは焼け跡で読経を続けた。大仏は黒く焦げた姿で立ち続けた。その姿を見て人々は泣いた。久秀は高櫓からその光景を見ていた。彼の表情は動かなかった。しかし心のうちで何を思っていたのか。大仏を焼いたのは自分の兵かもしれない。その事実を彼はどう受け止めたのか。彼は茶室にこもって独り茶を飲んだ。その時彼の手は震えていたと言う者もいる。確かなことは誰にもわからない。ただ彼はその日普段より長く茶室にいた。