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現代古代史 ·

【現代古代史 #2】貨幣の起源と支配のコード

紀元前九千年の貝殻から、二〇二五年のCBDCまで。貨幣の歴史は支配の歴史でもある。誰がコードを書き、誰がそれを守り、誰がそれを変更できるか。山崎豊子×塩野七生の視点で貨幣の構造を解剖する。

【現代古代史 #2】貨幣の起源と支配のコード

紀元前九千年、メソポタミアの某个は羊と穀物を交換した。その行為に支配はなかった。等価の欲求がぶつかり、双方が満足して別れた。貨幣がなかった時代、人間は対等だった——少なくとも、exchangeの瞬間だけは。

貨幣が生まれた瞬間、全てが変わった。

貨幣とは何か。経済学者は「交換の媒体」「価値の尺度」「価値の貯蔵」と定義する。だがその定義は、貨幣が何をする道具であるかを説明しているだけで、誰がそれを設計し、誰がそれを支配するかを隠している。

貨幣は中立ではない。貨幣は常に、誰かの利益のために設計されている。その設計を読み解くことが、現代古代史の出発点だ。

一、貝殻と鉄——最初のコード

中国古代、殷王朝は青銅器を祭祀用に鋳造した。だが貝殻(貝貨)が貨幣として機能したのは、それが希少で持ち運びが容易だったからだけではない。貝殻は海の産物だった。内陸部の人間にとって、貝殻は「遠い世界のもの」だった。その異質性が、貨幣に超越性を与えた。

貨幣の本質は希少性ではない。貨幣の本質は「誰が発行するか」だ。

古代リディア王国(紀元前七世紀)で最初の金属貨幣が鋳造されたとき、それは王の印章を押していた。貨幣は王の権威の延長だった。銀貨に刻まれた獅子の像は、単なる装飾ではない。これは「この銀の価値は王が保証する」という署名だった。

リディアのクロイソス王は、金貨と銀貨を初めて統一規格で鋳造した。彼の名前は「富裕」の代名詞になった。だがその富裕の裏側には、鉱山で命を落とす奴隷の血があった。貨幣の歴史は、最初から搾取の歴史だった。

古代エジプトでは、貨幣がなかった。経済は实物納税で回っていた。農民は穀物を納め、労働を提供した。その体系は、神殿と王の支配を直接的に支えていた。貨幣が登場しない社会でも、支配のコードは存在した。貨幣は、支配のコードを「可搬可能に」しただけだ。

二、金本位制——見えない支配の設計図

一八一六年、イギリスは金本位制を導入した。一八七〇年には主要国が追随。金本位制とは何か。「紙幣の一単位は、規定量の金と交換可能だ」という約束だ。

この約束は美しい。だが問題がある。

金の総量は限られている。世界の金の総産出量は、歴史上約二十万トン。それを誰が保有するか。イギリスの中央銀行、ロスチャイルド家の銀行、ニューヨーク連邦準備銀行。金本位制とは、金を保有する者だけが通貨を発行できるシステムだった。

「金は眠るが、利子は目を覚ます」——ユダヤの格言

金本位制の本質は、金を「所有している」こと自体が権力だったことだ。産業革命で膨大な富を生み出したのは労働者だったが、その富を「貨幣」として切り取り、保有し、支配したのは資本家だった。

イングランド銀行は一六九四年に設立された。その目的は「政府に資金を貸すこと」だった。政府は戦争のためにお金が必要だった。イングメント銀行は紙幣を刷り、政府に貸した。その紙幣は国民に課税して回収される。つまり、国民は戦争の費用を負担し、イングメント銀行は利息を得た。

これが中央銀行の原型だ。私的な金融機関が、国家の通貨を発行する権限を持つ。その権限は誰から来たのか。国王からだ。国王は議会の承認を得て、イングメント銀行に特許状を与えた。

民主主義の国で、通貨の発行権が私的機関にある。これは矛盾ではないのか。矛盾だ。だがその矛盾が、近代貨幣制度の基盤になっている。

金本位制の下では、政府は財政赤字を資金調達しにくかった。金の保有量が限られているため、紙幣を excess に刷ることはできない。だから戦時でも、政府は国民に国債を売って資金を集めた。国民が国債を買えば政府は回る。買わなければ政府は回らない。

この仕組みは、民主主義と貨幣の最初の、そして最大の結びつきだった。国民が貨幣を保有し、その貨幣を政府に貸す。政府はその貨幣を返す約束をする。つまり、近代国家は国民の貨幣に依存して成立していた。

三、ニクソン・ショック——金との離婚

一九七一年八月十五日、リチャード・ニクソン大統領はテレビで演説した。「ドルと金の交換を停止する」。Bretton Woods体制の終焉。

この演説の意味を、当時のアメリカ国民は正確に理解していなかった。ドルはもはや金と結びついていない。ドルの価値は、アメリカの軍事力と経済力と、そして「ドルで石油を買う」というサウジアラビアとの密約によって支えられている。

浮动為替相場制の導入は、通貨を「価値の尺度」から「政治の道具」へと変貌させた。

為替レートは市場で決まる。だが「市場」とは何か。それは毎日、五京ドル(5×10¹⁵)が動く外汇市场だ。その取引の大部分は、ロンドン、ニューヨーク、東京のわずかな金融機関によって行われる。

為替市場の参加者の上位二十行が、一日の取引量の七〇パーセント以上を占める。その二十行の多くは、アメリカとイギリスの銀行だ。ニクソン・ショック以降、ドルの支配は金から離れたが、ドルの支配はむしろ強化された。ドルは世界の準備通貨であり、石油取引はドルで行われ、国際決済はドルで行われる。

ドルの覇権は、軍事力と技術力で支えられている。Apple、Google、Microsoft、Amazon。アメリカのテクノロジー企業は世界中から富を吸い上げる。その富はドル建てで計上され、ドルの価値をさらに押し上げる。

これは循環論法だ。ドルの価値はアメリカの力で支えられ、アメリカの力はドルの価値で支えられる。その循環を維持するため、アメリカは軍事力と技術力を維持し続けなければならない。

四、中央銀行——誰も選ばない支配者

日本銀行、アメリカ連邦準備制度、欧州中央銀行。これらは政府の一機関ではない。独立した法人体だ。国会の承認は必要だが、日常の金融政策は「政治の介入から独立して」行う。

これは民主主義の悖論だ。

国民は選挙で議員を選ぶ。議員は首相を選ぶ。だが金融政策の決定権は、国民の手を離れた場所にある。日銀の金融政策決定会合は、テレビ中継され、議事録は公開される。だが決定は「専門家」によって行われる。国民はその結果を黙って受け入れるしかない。

二〇二四年、日本銀行は異次元緩和を終了した。金利を引き上げた。その影響は、住宅ローンの返済額増加、企業の資金調達コスト上昇、円安の進行。国民は政策決定に関与していないのに、その影響を一身に受けた。

中央銀行の金融政策は、貨幣の価値を左右する。貨幣の価値は、国民の生活を左右する。つまり、国民が選ばない「専門家」が、国民の生活を左右している。

これは近代民主主義の根本的な問題だ。民主主義は「国民の意思で政治を行う」という理念だ。だが金融政策は、その理念の及ばない場所にある。

連邦準備制度の設立者たちは、この問題を理解していた。一九一三年の連邦準備法は、連邦準備理事会を「政府機関」として設立したが、地区連邦準備銀行は民間の株主が保有する。民間の金融機関が、国家の通貨政策を左右する。その矛盾を、設立者たちは「独立性」という名前で正当化した。

五、デジタル通貨——CBDCという名の監視

二〇二五年現在、世界の中央銀行の九三パーセントが、CBDC(中央銀行デジタル通貨)の研究を進めている。中国のデジタル人民元は既に試験導入済み。欧州のデジタルユーロはpilot導入を予定している。

CBDCとは何か。中央銀行が発行するデジタルな法定通貨だ。現金とは違う。現金は匿名で、誰の手に渡っても追跡されない。CBDCは全てが記録される。誰が、いつ、どこで、何を買ったか。全てが中央銀行のデータベースに残る。

「コンビニで弁当を買った記録が、国家の手に渡る時代が来る」——ある経済コメンテーター

これは監視社会の完成形だ。貨幣の歴史は、支配の歴史でもある。貝殻の時代には「誰が貝を所有しているか」が権力だった。金の時代には「誰が金を所有しているか」が権力だった。デジタルの時代には「誰がデータを所有しているか」が権力になる。

CBDCの問題は、技術的な巧妙さにある。政府は「便利さ」を前面に出す。キャッシュレス決済の利便性、送金の手数料ゼロ、テロ資金供与の防止。这些都是好いことだ。だがその裏側に、全市民の取引記録を国家が一元管理する仕組みがある。

中国の社会信用制度とCBDCは、自然に接続する。政治的に「信用できない」市民の銀行口座を凍結する。その判断を、人間ではなくアルゴリズムが行う。アルゴリズムの判断基底は、誰が定めるのか。

CBDCはまた、貨幣政策を直接的に国民に届ける手段にもなる。中央銀行は「デジタルな貨幣」を直接国民の口座に送れる。つまり、金融緩和の効果を直接的に国民に届けられる。これは、従来の金融政策(銀行を通じて間接的に効果を届ける)とは全く違う。

便利だ。だが、国家が個人の口座を直接操作できるということは、国家が個人の経済活動を直接コントロールできるということだ。

六、ビットコイン——反逆のコード

二〇〇八年十月三十一日、サトシ・ナカモトという人物(または組織)が九ページの論文を公開した。「Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System」。

ビットコインの本質は、中央管理者の不在だ。ビットコインの発行は、ネットワークの参加者によって民主的(というより、数学的)に決定される。誰もビットコインを「刷る」ことはできない。上限は二千一百万枚。それはコードに書かれており、誰も変更できない。

「The Times 03/Jan/2009 Chancellor on brink of second bailout for banks」——ビットコインのgenesis blockに刻まれたタイムズの見出し

ビットコインは、二〇〇八年の金融危機への返答だった。銀行が破綻し、国民が税金で救済された。その不正義への抗議として、ナカモトは「国家に依存しない通貨」を設計した。

だが皮肉なことに、ビットコインは投機の道具になってしまった。価値の尺度としての通貨ではなく、価値の投機対象としての通貨。それは貨幣の本来の目的から、さらに遠のいた。

ビットコインのコードは公開されている。誰でも読める。誰でもforkできる。だがそのコードを本当に理解しているのは、ごく少数のエンジニアだけだ。コードは公開されていても、その理解は独占されている。これは、金本位制と似ている。金は「誰でも見られる」だが、金を「保有できる」のは一部だ。ビットコインは「誰でも読める」だが、そのコードを「理解し、活用できる」のは一部だ。

七、貨幣の本質——誰がコードを書くのか

貨幣の歴史を振り返ると、一つの問いが浮かび上がる。

誰が貨幣のコードを書いているのか。

古代の王は、貨幣に自分の顔を刻んだ。中世の教会は、貨幣の価値に神の権威を借りた。近代の国家は、貨幣の価値に法律の権威を借りた。現代の中央銀行は、貨幣の価値に「専門家」の権威を借りた。

貨幣の本質は、コードだ。誰がそれを書き、誰がそれを守り、誰がそれを変更できるか。

デジタル時代の貨幣は、より明白にコードになっている。ビットコインのコードは公開されている。だがそのコードを書いたのは、誰か。ナカモトは匿名のまま消えた。コードは残った。支配は残った。だが支配者は見えない。

七の二、Stablecoin——デジタルドルの新参者

二〇二四年、stablecoinの総発行高は一七〇〇億ドルを超えた。Tether(USDT)とUSDCが市場の九割を占める。これらのstablecoinは「一ドルと交換可能だ」と謳っている。だが、その保証は誰がしているのか。

Tetherは、其の準備金の内訳を長年公表してこなかった。二〇二一年にようやく公式報告書を公開したが、その内訳は「商業手形」「担保付ローン」「その他」だった。「その他」が何を意味するのか、誰にもわからなかった。

「usdtを発行するのはTether社だ。そのTether社の財務は、外部監査を受けていない。つまり、一ドル保証は『信じてください』と同じだ」——クリプトアナリスト

Stablecoinは、CBDCの競合なのか、補完なのか。答えは「どちらでもある」。政府はCBDCで直接的なデジタル通貨を提供する。民間はstablecoinで間接的なデジタル通貨を提供する。その二つが併存する世界で、通貨の支配はさらに複雑になる。

Stablecoinの発行者は、その準備金を美国国债に運用する。つまり、stablecoinのユーザーは間接的に美国国债を買っている。民間のイノベーションが、国家の債務を支える。貨幣のコードは、民間と国家の境界を越えて、複雑に絡み合っている。

八の二、貨幣と身体——見えない痛みの系譜

貨幣は身体を持たない。だが貨幣がもたらす痛みは、身体的暴力よりも深く、長く、広がる。

貧困とは何か。貨幣がないことだ。貨幣がなければ、食べられない。住む場所がない。病になっても治療を受けられない。貨幣がもたらす痛みは、直接的な暴力ではない。だがその痛みは、身体の細胞の一つ一つに染み渡る。

山崎豊子は「華麗なる一族」で、財閥の支配構造を描いた。馬場家は金融、不動産、流通を支配する。その支配の道具は、貨幣だ。貨幣を与えることで従わせ、貨幣を奪うことで殺す。血を流さない殺人。それが貨幣の暴力だ。

塩野七生は「ローマ人の物語」で、ローマ帝国の通貨制度を描いた。デナリウス銀貨の品質は、帝政中期から低下し続けた。銀の含有量が減り、銅の含有量が増えた。つまり、インフレーションだ。帝国民は同じ銀貨で買えるものが越来越少ことに気づいていた。だが、その仕組みを理解している者はいなかった。

「貨幣の価値が下がることを、国民は理解できない。they は値段が上がったと思う。だが、貨幣の価値が下がったのだ」——ローマ経済史家

九、現代古代史——見えない支配の系譜

貨幣の歴史は、支配の歴史だ。貝殻から金へ、金から紙へ、紙からデジタルへ。形は変わったが、本質は変わらない。貨幣は「誰かが発行し、誰かが支配する」。

現代社会で最も強力な支配装置は、武器でも警察でもなく、貨幣だ。貨幣は平和な支配を可能にする。暴力ではなく、「给你钱」或者是「没钱」の二択で人間を従わせる。

山崎豊子が描いた組織の暴力は、貨幣という制度の暴力に比べれば、子供の遊びだ。制度は人を殺さない。制度は人を飢えさせ、貧しくし、希望を奪う。その痛みは身体的暴力よりも深く、長く、広がる。

塩野七生が描いたシステムの設計思想は、貨幣に最もよく表れている。貨幣は意図的に設計された。誰かの利益のために、誰かの犠牲の上で。その設計を読み解くことが、現代の古代史を理解する鍵だ。

貨幣を見よ。そこに、支配のコードがある。


【加藤ラジコン出版現代古代史 #2】