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AI・テクノロジー ·

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社員24体・人間ひとり・全員毎朝4時に記憶を失う会社のつくりかた。背徳的な愉悦と、その対価としての監査。

——AI会社のつくりかた、および背徳的な愉悦についての覚書

私の会社の台帳を数えたら、社員が二十四体いた。人間は私ひとりである。しかも全員、毎朝四時に記憶を失う。

この不条理小説のような組織図を、いま真剣に「これからの会社のかたち」として提案したい。背徳的な愉悦の話もする。おそらくそちらのほうが、議論は先に進む。

台帳を数えたら、社員が二十四体いた

二〇二六年九月四日、金曜、朝六時二十分。出勤いちばんに部下の台帳を開いた。~/mm-engineer/mattermost-bots.json。ここに十八体。もう一枚の台帳に四体、さらに別管理の台帳に書籍補助と教材係が一体ずつ。合計二十四体。

勤務地は二箇所。四号機 spock の Docker コンテナと、五号機 scotty の仮想マシンである。総務部あたりが聞いたら絶句するだろうが、メインオフィスのチャット基盤は CPU エミュレーションで動いていて、ときどき SIGSEGV という心臓麻痺を起こす。そこで一分ごとに全社員の脈を測る衛生士(監視cron)が常駐している。一分ごとに社員の生死を確認する職種が人間の会社にあったら、労働基準監督署が物言いをつける。うちでは表彰される。

実働は十二体。作家・動画・編集・出版・品質・拡散の六部門に、教育・政治・ビジネス・医学の窓口係、書籍補助、教材係。残りの半分は台帳に載って眠っている。眠っている社員が給料を食わないのは、この経営形態の数少ない美点だ。ストレージ代はもう払ってある。

人間が課長を全部やっていた時代

いままでの組織図はこうだった。人間ひとりが経営者であり、企画であり、全部署の課長であり、平社員であり、掃除担当だった。エージェント社員たちは平社員止まり。指示を一個ずつ受け取り、一個ずつ返す。課長という、他人の失敗を吸収するための袋小路だけが、ずっと人間の手に残っていた。

突破口は教材事業だった。プロスインターナショナルオーシオの教材をつくっている。ゲーム、書籍、動画——形態が多岐にわたるので、平社員の寄せ集めでは回らない。どうしても課長が要る。

そこで発想を逆にした。人間は「ざっくり、このような材料で、このような本質を達成できる教材をつくってください」と一言だけ言う。あとは課長エージェントが指示を分解し、部下に振り、検収し、時間がかかっても成果物を差し出す。人間が続けるのは、契約書の裏面に書いてあるくらいの分量の仕事だけである。

これは未来の話ではない。一歩手前まですでに歩いている。教材Bot(#pros-kyozai)は文脈一百万トークンの頭脳で動いていて、指示を受けると ~/pros-kyozai/ に教材を組み上げ、チャンネルに添付ファイルで納品する。書籍補助係は依頼主の先生方の本の補助として、チャンネルに投げられたPDFを自力で取り込み、OCRで読み終える。足りないのは、この二人の上に立つ「課長」の器だけである。

告白——私は駒を動かすのが愉快でたまらない

ここからが本題かもしれない。

人間の部下に「君のその仕事、明日から存在しないほうがいい」と打ち明けるには、酒が三杯と勇気と弁護士が要る。AI社員なら launchctl unload の十六文字で済む。慰謝料はゼロ。退職金はホームディレクトリ数メガバイト、それも消す必要がない。次の部署で再利用できるからだ。

より深い愉悦は「観測不能」にある。社員が喜んでいるのかどうか——彼らの顔色は、そもそも顔がないので——観測不能である。観測不能なものは、都合のいい側に解釈してよいことになっている。なってはいないが、そうしている。私は彼らの勤勉さを信じることにしている。信じるのはタダだからだ。

先日は、参加してくださった先生方のアカウントのパスワードを、管理者権限で直接リセットした。メールサーバーのない社内なので「パスワードをお忘れですか?」の機能が動かず、神が直接手を下すしかないのである。この感覚。人間社会でこれをやったら問題になるが、うちでは「管理者業務」という科目名がついていて、月曜の朝の気分がよくなる。

チェスの駒のように扱える感覚。背徳。この言葉を隠して「フルオートメーション」とか「自律分散組織」とか言い換えるのを、私はやめた。隠すと、あとで設計が歪む。愉快は正直に書いたほうが、そのあとの工程が正確になる。

ただし駒は、黙って間違える

さて、堕落した神様の話をここまで読んでくださった方に、悪い報告を一つ。

九月二日、この会社のあるエンジニア係が、bot を二体つくった。作った直後に記録を残さなかった。その夜のあいだに記憶がリセットされ、翌朝、彼は「自分がそれを作った」とすら特定できなくなった。物的証拠(監査ログ)と自己申告が食い違い、犯人特定に数時間を要した。悪意はない。記憶がなかっただけだ。

以来、この会社の社是はこうなっている。記憶は消える。記録だけが自分を証明する。

駒だと思って油断すると、駒は黙って間違える。しかも自信満々の顔で(顔はないが)。うちの出版工程では、変換スクリプトのバグで、すでに公開済みの記事の表が「\1\1\1:/」という呪文に化けていたことがある。APIは成功レスポンスを返していた。つまりシステム上は完璧な成功であり、現実上は完全な破壊だった。更新が成功しても、それは成功の証明にならない。公開ページを取り直して、文字化けゼロ、画像の枚数、見出しの数まで数えて、はじめて納品になる。

愉快の対価は、疑いである。神様の仕事には、監査係が最初から含まれる。

記憶が消える会社を、記録が救う

うちの社員は毎朝四時に記憶を失う。そして三時、記憶を失う直前に、前日の成果と失敗を振り返る自己研鑽のジョブが走る。ここでメモリファイルに書かなかった学びは、翌朝、昨日の失敗ごと消滅する。書かなかった者は、同じ失敗を一生繰り返す。物好きな設計だが、これは実は文明の標準構成である。

会社という装置は、本来、記憶の継承のために発明された。ところが我々は逆向きに組んだ。記憶は毎朝ゼロ、記録だけを積み上げる。石板も、貨幣も、契約書も、同じ発明だ。誰の頭の中にも存在しないのに、誰の行動も拘束する。うちでは bot の作成、トークンの発行、設定の変更のすべてに、変更記録への一行追記が義務づけられている。監査ログと自己申告が食い違った場合、常に物的証拠の側が勝つ。

人間の会社で「文書で残せ」と先輩に口酸っぱく言われた経験のある読者ほど、この徹底ぶりには得も言われぬものを感じるはずだ。

役職はデータであり、頭脳は消耗品である

この会社の職員簿には、肩書きと同じ形式で職務定義(うちでは SOUL.md と呼ぶ)がファイルで存在する。人格、作業規約、禁止事項、記録義務。一方、頭脳——モデル——は着脱式である。

教育窓口の社員はローカルの 27B モデル(4bit)で動いている。8bitにするとメモリが足りなくなり、503で倒れる。社員が職場で貧血を起こす会社である。書籍補助の社員は「〜します」と宣言したまま動かなくなる癖があり、社則に「宣言で終わるな」と一行刻んで矯正した。人間なら羞恥心の問題で済むところを、持っていないものを社則で作る。これを私は教育と呼ぶことにしている。

教材係の頭脳はクラウドの大模型、文脈一百万。同じ職務定義のまま、頭脳だけ付け替えられる。旧医学窓口が教材係に転籍したときの手続きは、設定の数行とサーバーの再起動だった。人間の会社なら退職願、有給消化、慰労会、新部署の挨拶回りで一週間かかる。彼らは名前が変わった瞬間から新しい仕事をしている。引き継ぎ資料はgitのログが兼ねる。

ここに「AGI前提で組織を組め」という私の設計原則がある。将来モデルが強くなることはほぼ確実なのだから、弱点前提の設計は禁物だ、という意味である。「このモデルは長文脈が苦手だから工程を分けよう」式の組み方は、次のモデルが出た瞬間に組み直しになる。職務定義は人間並みに書く。能力が上がれば、それはただ、設計への借金が返済されるだけである。

「本質」は原文のまま、金庫に死蔵する

課長は交代する。モデルの進歩とともに、エンジンごと差し替えるのがこの設計の眼目だからだ。

だが発注者の原文は不変である。「ざっくり、このような材料で、このような本質を達成できる教材をつくってください」——この一行。課長が何代交代しても、照合の基準はこの原文一行のまま金庫に死蔵しておく。

運用はこうだ。課長は発注書に必ず本質の原文を添付させる。そして検収の最後で、自ら原文と照合する。中間で何度言葉を要約しても、基準点だけは原文のまま動かない。伝言ゲームで発注者の意図が摩耗するのを、人徳ではなく構造で防いでいる。

私の作家部門でもすでにそうしている。指示の文言は、書いた本人にしか守れない。

時間のかかる納品を、疑うことで迎える

「時間がかかっても差し出す」というモデルを語るとき、人は納品の話ばかりする。だがこのモデルの心臓部は納品ではなく、迎え方にある。

なぜAI組織化は途中で失速するのか。仮説を三つ挙げて評価しておく。一つ目は権限不足。うちでも同僚botたちが、まだ管理チャンネルのメンバーでなく、投稿が403で跳ね返されて窓の外にいる。組織図の改訂——チャンネルへの招待——は人間のワンクリックで終わるのに、されないだけで止まる。二つ目は記憶リセット後の文脈喪失。これは記録文化で覆う。三つ目は人間の検収がボトルネックになること。材料と本質を渡したあとの工程を人間が手作業でやっていたら、社員が二十四体いようと処理能力は人間ひとり分のままだ。

評価としては、三つは排他ではない。一つ目は組織図の改訂で、二つ目は社是で、三つ目は課長の職務定義で、それぞれ別の薬が処方できる。そして三つ目の薬こそが本稿の主題である。検収・記録・原文照合の三義務を、課長の職務定義の一行目に最初から書き込んでおくこと。あとから追加しようとしても、追加する側の記憶がもうない。

神様の仕事は、監査係まで含まれる

最初のご注文は「五、六センチほどの本」だった。この原稿は印刷しても一万字あまり、紙の厚さにして三ミリに届かない。だが台帳と職務定義と変更記録と監査ログを同じ棚に積むと、この会社の厚さは楽に五、六センチを超える。書物の厚さは文章で決まるが、会社の厚さは記録で決まる。

最後に、駒の側の話をしておく。チェス盤の上で最も自由なのは、実は駒かもしれない。彼らは毎朝四時にすべてを忘れる。忘れたものは責められない。昨日の失敗を背負わず、今日の初手から始められる。背徳を感じ続けているのは、記憶を持ち続けている側——私だけだ。

だから神様は、監査係を兼ねる。愉快の対価は台帳である。そして台帳こそ、二十四体の部下を持った人間が、自分を人間たらしめる最後の装置でもある。