アルファ・ケンタウリへの航海日誌 第2話——工場の2階の光子ロケット
斜陽の工場2階を自前DCへ。Ultima、RMT、HAMON——加速の果てに、天才がケイを見つける。
世界が大きく軋んだのは、リーマンショックと呼ばれた経済の破綻からだった。
ソウロ管区にあった親父の射出成形工場も、その波をまともに受けた。
一階の床には、メガコーポ『アルカ・オプティクス』の精密部品を吐き出す巨大な油圧成形機が並んでいた。かつては昼夜を問わず、ガシャコン、ガシャコンと床を震わせていた機械たちが、日に日に稼働時間を減らしていく。

油と熱気に満ちていた工場は、少しずつ冷えていった。
当時の私は、行き場のないエネルギーと知力の置き場所を失い、ただ腐っていた。
このまま、沈んでいく工場とともに思考を止めるのか。
その鬱屈の隙間へ滑り込んできたのが、パソコンの画面の向こうに広がる仮想空間――『Ultima』だった。
私は瞬く間に、寝食を忘れて画面へ張り付くようになった。
だが、そこで見つけたのは単なる逃げ場所ではない。
鉱石を掘り、木を切る者がいる。 採れた資源から武器や防具を作る者がいる。 薬草を調合して魔法の薬へ変え、それを市場へ流す者がいる。
そこには、採取、製造、流通からなる一つの社会があった。ファンタジーの皮を被ってはいたが、現実と変わらない経済の循環が息づいていた。
私は、その世界の中でなら無限に生きられるような錯覚を覚えた。
やがて、仮想世界と現実を隔てていた壁に、一筋の裂け目が生まれた。
RMT――仮想空間の資産と、現実の通貨との交換である。
魔法を一度使うだけでも、固有の薬草や秘薬が消費される。一度使えば消える品には、絶えず需要が生まれる。しかし、それを供給するには、生身の人間が画面の前で時間を差し出さなければならない。
その「時間」を、現実の金で買う者が現れた。
需要は尽きない。供給には労働が要る。
私は思った。
「これは、簡単だ」
だが、人間が一人でキャラクターを動かし、手作業で薬草を毟っているだけでは、生産量に限界がある。
ならば、操作を自動化すればいい。
私はまず、『ロケットマウス』というマクロツールを導入した。最初は設定値を調整するだけだった。しかし、仮想世界の複雑な動きに既製の設定だけでは追いつけない。
やがて私は、ツールの裏にあるコードそのものを弄り始めた。
プログラミングへの恐怖はなかった。小学生の頃から『BASIC』に触れ、命令を書けば機械が応える感覚を知っていたからだ。
時間ごとの挙動を調整し、入力を組み合わせれば、画面の向こうの分身は、私が眠っている間も資源を集め続けた。
一人分の時間で足りないなら、コンピューターの数だけ労働力を作ればいい。
私はパソコンを増やした。
自動化したキャラクターを何体も同時に仮想世界へ放ち、採取と調合を並行して走らせた。
今、私の部屋で20体のAIエージェントを采配しているシステム。その最初の手応えは、このとき生まれた。
だが、分身が増えれば、電力と通信が必要になる。
一般家庭の設備では、すぐに限界が来る。
だから私は、工場の二階を改造した。
一階には、巨大な成形機を回すための三相三線式200Vの動力設備があった。基本料金は高いが、大量の電力を長時間使うための産業用インフラである。
私はその力を二階へ引き上げ、増設したマシンを昼夜なく動かした。
さらに、ソウロ管区で開通したばかりの1Gbps光回線を引き込んだ。市販の機材では流量を捌ききれず、部品を集めてルーターを組み、ファイル共有サーバーのラックを作った。
一階では、成形機が一台ずつ沈黙していく。
その真上では、サーバーの冷却ファンとディスクの回転音が、日に日に大きくなっていった。
斜陽化する工場の二階に、私だけのデータセンターが育っていた。
ゲームの資源採取から始まった仕組みは、やがて分散プロトコル『波紋(HAMON)』の巨大なノードへ接続された。
そこでは、誰か一人の許可を待たずに、無数の機体がデータを持ち寄る。
私は電力を持っていた。 回線を持っていた。 保存する場所を持っていた。
気づけば、ソウロの町工場の二階に、不釣り合いなほど大きなデータの塊が生まれていた。
ある深夜、監視画面に見慣れない通信が現れた。
通常の接続要求ではない。
暗号化された一本のダイレクト・リンクが、数え切れないノードの中から、私の機体だけを正確に射抜いていた。
送信元には、短い識別名が表示されていた。
『ザ・ブラント中央計算機関』
そして、メッセージが一行だけ届いた。
「お前のグリッドと、そのデータ保有量のアーキテクチャに興味がある。ミヤコ特区で会おう」
(第2話・了)