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【芸術って何だろ? #671】平子雄一《HUMAN AND NATURE》が東京ミッドタウン日比谷のニューオープンしたホールで9/5開幕 — 「人間と自然」をデジタルで再定義した作家が、まだ名前のない展示空間の「最初の言葉」となる瞬間

【芸術って何だろ? #671】平子雄一《HUMAN AND NATURE》が東京ミッドタウン日比谷のニューオープンしたホールで9/5開幕 — 「人間と自然」をデジタルで再定義した作家が、まだ名前のない展示空間の「最初の言葉」となる瞬間

まだ名前のないホールで、最初の展示が始まる

芸術と出会う場所には、すでに多くの記憶が積み重なっていることが少なくありません。展覧会の評判や来場者の声、作品についての会話など、場所を彩る記憶が静かに積み重なり、その空間ならではの空気をつくっていきます。けれど、まだ名前のないホールには、そうした記憶がまだ書き込まれていません。壁も、床も、空間そのものも、何かを迎えるための「まっさら」な状態のまま待っています。その場所で最初に何が立ち上がるかは、その空間の空気そのものを決める一行になるのだと思います。

東京ミッドタウン日比谷に新しくオープンするそのホールで、こけら落としともいえる最初の展示として始まるのが、平子雄一の《HUMAN AND NATURE》です。9月5日の開幕に向けて、名前を持たない空間の「最初の言葉」として、この作品群が据えられることになりました。

新しいホールの最初の展示というのは、作家にとっても空間にとっても特別な役割です。そこで見る人が受け取った印象は、その場所の印象として長く残っていく可能性があります。だからこそ、選ばれる作家や作品には、その場所に流れる空気を形づくる力が求められるのでしょう。「人間と自然」という普遍的な問いをテーマにしてきた平子雄一が選ばれたことには、そうした期待が込められていると考えられます。この点は筆者の推測ですが、名前のない空間が「言葉」を持つ瞬間に立ち会えるのは、展覧会を訪れる醍醐味のひとつではないでしょうか。

ギャラリーの白い壁に並ぶ、茂る草木や蔓を描いた平子雄一の彩色パネル。人間と自然が入り混じる作家の世界が、ここから具体的に見えてくる。
ギャラリーの白い壁に並ぶ、茂る草木や蔓を描いた平子雄一の彩色パネル。人間と自然が入り混じる作家の世界が、ここから具体的に見えてくる。

(写真: 平子雄一所繪〈剩餘 01〉 — 氏子 / CC0, Wikimedia Commons)

平子雄一という作家 — 「人間と自然」をデジタルで捉え直す

平子雄一という作家を語るとき、軸になるのは「人間と自然」というテーマです。自然界を想起させるモチーフを、デジタルならではの視点で捉え直す——今回の展示タイトル《HUMAN AND NATURE》は、まさに作家の関心そのものを言い表しています。

人間と自然の関係は、美術における古くて普遍的な問いです。平子雄一はこの問いに、デジタルという現代の手段で向き合う作家だと言えます。資料から確認できるのは、この作家が「人間と自然」をデジタルで再定義したという点であり、具体的な制作手法や経歴の詳細はここでは触れません。不明な部分を補って語ることは、作家の紹介としてはかえって不正確になるからです。

注目したいのは、こうした作家の営みが、まだ名前のないホールという真新しい空間と出会う場面です。東京ミッドタウン日比谷にニューオープンしたこのホールのように、初めて人前となる場所の最初の展示が、その空間に「最初の言葉」を与えるとすれば、その言葉を担うのが平子雄一《HUMAN AND NATURE》だという構図が成り立ちます。9月5日の開幕は、作家にとっての一つの発表であると同時に、空間にとっての最初の一歩でもあります。

「人間と自然」をデジタルで捉え直すという営みが、名前を持たない場所でどう響くのか。この節で押さえておきたいのは、作家のテーマと空間の状況が、開幕の日を境に重なり始めるという点です。

《HUMAN AND NATURE》で出会える作品と空間のつくり

この節で扱うのは、展示空間そのものが持つ意味についてです。資料として確認できる事実は、タイトルが《HUMAN AND NATURE》であること、会場が東京ミッドタウン日比谷の新しくオープンしたホールであること、そして開催が9月5日からであること。作品の具体的な構成や出品点数については、この連載の資料には記されていません。

それでも、「人間と自然」をデジタルで捉え直す平子雄一の展示である以上、空間のつくりもまたテーマと呼応したものになると考えられます。これはあくまで私の推測ですが、まだ名前のないホールに、作家の視点で「人間と自然」が翻訳されていくとしたら、壁も床も照明も、作品を飾る舞台裏ではなく、表現の一部として設計されているかもしれません。

デジタルという手段を選ぶ作家の展示空間では、映像や光が建物と混ざり合い、訪れる人の身体ごと体験に引き込まれる構成になりやすい、という一般論もあります。ここから先は提案として書きます。会場では、作品を「見る」だけでなく、空間の中で「感じる」時間も意識して楽しんでみると、平子の世界観がより深く届くのではないでしょうか。

初めて展示されるホールは、まだ過去の展示の記憶を持たない白紙のような場所です。その白紙に、《HUMAN AND NATURE》という「最初の言葉」が刻まれる。作品と空間が一体となった体験が、9月5日から東京ミッドタウン日比谷で待っています。

9月5日から — 新しい場所の「最初の言葉」を見に行く

オープン初日という時間は、その場所にとって一度きりのものです。白い箱のような空間が初めて人を迎える瞬間から、少しずつ「場所」としての記憶を積み重ねていきます。9月5日、東京ミッドタウン日比谷にオープンするホールは、まだ名前を持ちません。名前のない空間の最初の展示は、その場所の空気を決める最初の言葉になります。それが平子雄一《HUMAN AND NATURE》である、というのが本稿の主題です。

初日に足を運ぶことには、二つの意味があります。ひとつは、作品をできるだけ「新しい」状態で見ることです。床の鳴りも、照明の当たり方も、観客の動線がつくる床の艶も、日が経つごとに空間は変化していきます。初日は、作家と空間設計者が思い描いた状態に最も近いはずの一日です。

もうひとつは、ほかの観客とともに「初めて」を経験することです。初日の来場者は、その場所の「最初の観客」として、作品の前に立つ順番や佇む長さ、立ち位置を通じて、場所の「使われ方」の初期サンプルをつくっていきます。まだ「名前」がないからこそ、その日の体験が、後から語られる説明の一部になっていく可能性があります。

「まだ名前のないホール」と書いたのは、この空間の正式名称が資料の段階で確定していないためです。したがって、開幕後に名称や設計の詳細が公表される可能性はありますが、ここで断定することはできません。断定せずに届くのは、9月5日という日付と、「最初の言葉」という役割だけです。

初日の空気を確かめたい方には、9月5日の来場を検討する価値は十分にあると言えます。開場時間や入場方法は変更される場合もあるため、最新情報は公式の案内をご確認ください。最初の一日に、自分がどこに立つか。それを想像するだけでも、9月5日は少しだけ特別な日になるかもしれません。

『芸術って何だろ?』編集部

元記事: https://note.com/keity717/n/n4e46e377fed9