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【現代古代史 #149】24時間営業————眠らない店のため夜通し燃やされた電力

【現代古代史 #149】24時間営業————眠らない店のため夜通し燃やされた電力

未来の史料に残る、眠らない店の灯り

遠い未来の歴史家が現代の生活様式を眺めるとき、深夜まで消えない店の灯りは、おそらく奇妙な習俗として記録されることでしょう。史料に残るのは、街区ごとに並ぶ店舗の照明計画や、夜間も稼働し続ける設備の記述です。そこには人影がほとんどなく、明かりだけが規則正しく燃やされ続けていた、という観察が並ぶはずです。

ここで注意しておきたいのは、あくまで未来の視点からの記述という想定であり、当時の人々の内面まで窺えるわけではない、という点です。そのうえで史料を読むと、一九七〇年代頃から始まった終日営業の慣行が、やがて暗闇を埋める明かりの常態化へとつながっていった経緯が見えてきます。歴史家はおそらくこう問うでしょう。なぜ人々は、客がほとんどいない時間帯にまで光を保ち続けたのか、と。

推測を重ねるなら、灯りそのものが目的だったわけではないのかもしれません。光が絶えないことが、営業の約束や信用の表現として機能していた可能性があります。いつでも店が開いているという見えない合図を、灯りの形で夜空に掲げ続けていたのかもしれません。しかし史料の上では、その意味は伝わりにくいものです。後世の読者が目にするのは、理由を欠いたまま夜通し燃やされる電力の記録だけです。歴史家がこの時代を「明かりのためにエネルギーを捧げた古代」と命名したとしても、それを完全には否定できないほど、灯りと夜の関係は特殊な形をとっていたと考えられます。

私たちの時代の常識は、未来の史料の中では説明を要する奇習へと姿を変えます。眠らない店の灯りが象徴するのは、生活の便利さというよりも、光を絶やさないこと自体が目的化してしまった社会のようすなのです。

夜も「24時間営業」の看板と灯りを掲げるコンビニの外観。眠らない店の明かりが、次節で扱う無人の夜の制度の始まりを物語る。
夜も「24時間営業」の看板と灯りを掲げるコンビニの外観。眠らない店の明かりが、次節で扱う無人の夜の制度の始まりを物語る。

(写真: Closed 24 7 Convenience Store (48740656968) — Coastal Elite from Halifax, Canada / CC BY-SA 2.0, Wikimedia Commons)

無人の夜を埋めた明かり――制度はこう始まった

夜という時間帯を、人間がいなくても店が営業する時間へと変えたのが、コンビニエンスストアの二十四時間営業でした。この制度が広がり始めたのは一九七〇年代のことです。当時、小売店の営業時間を延ばすこと自体は珍しい動きではありませんでしたが、深夜にも閉店せず、終日同じ棚が同じ明るさで並ぶ店舗という形式は、それまでの商店の考え方とは異なるものでした。

注目すべきは、店が開いていることと、店に人がいることが分離した点です。従来の商店では、店主や店員が鍵を開け、照明を点け、客を迎えるまでが営業でした。二十四時間営業の店では、深夜の時間帯に来客がほとんどなくとも、店内の明かりは消えず、レジは動き続けます。つまり営業という状態が、人の活動から切り離され、建物と設備が担うようになったのです。

この変化を支えたのは、深夜の照明と冷蔵設備を動かし続ける電力でした。遠い未来の歴史家がこの時代を眺めるとき、眠らない店のために夜通し電力を燃やし続けた社会の姿は、かなり奇妙な習俗として記述されるかもしれません。客がいない時間にも灯りを保つことは、商業上の信頼や利便性を示す装置として機能した面があります。明かりがついていること自体が「いつでも開いている」という合図であり、それが深夜帯の需要を生み、制度を定着させていったと考えられます。

ここまでに述べたのは、一九七〇年代以降の二十四時間化という制度の始まりと、営業が人の在不在から独立したという事実の整理です。深夜の明かりが常態として定着した背景には、電力が比較的安価に供給され続けた時代の状況があったと推測されますが、この点は後の節で改めて扱う性質のものです。まずは、夜を埋め始めた明かりが制度として整備されたのがこの時期であったこと、そして明かりと営業が結びついたことで、無人の夜が「開いている時間」に組み込まれたことを押さえておく必要があるでしょう。

早朝の路上で店先を明るく照らす24時間営業のコンビニ。常時化した灯りが夜をどう変えたのか、次節の問いへとつながる風景だ。
早朝の路上で店先を明るく照らす24時間営業のコンビニ。常時化した灯りが夜をどう変えたのか、次節の問いへとつながる風景だ。

(写真: Baba Food & Wine 24-hour convenience store with illuminated shopfront in early morning, High Street, Gillingham, Kent - 5 October 2025 — OathOn / CC BY-SA 4.0, Wikimedia Commons)

灯りが常時となったとき、失われたものは何か

遠い未来の歴史家がこの時代の記録を眺めるとき、最も不思議に映るのは、夜の暗さを社会的に消し去ろうとした意志でしょう。一九七〇年代以降、無人の夜を照らす灯りは次第に常時のものとなり、夜でも昼と同じ明るさで買い物ができる状態が、都市の当然の風景として定着しました。設計者たちは、夜も眠らない店こそ豊かさの証と考えたようです。記録の上では、それは効率と利便の勝利として書かれています。

しかし、灯りが「ついているのが普通」になったとき、失われたものがあったことを、記録は否定していません。第一に失われたのは、夜という時間の質だったと推測されます。かつて夜とは、営みを終え、灯りを減らし、休息に向かう時間でした。それが常時の明かりによって昼と区別できなくなれば、夜は単なる「遅い昼」へと変質します。眠らない店の灯りは、眠らない生活を当然視する社会を作り出したと考えられるのです。

第二に、暗さそのものが欠損として扱われるようになりました。夜の街路に灯りがなければ、それは風情でも自然でもなく、「対応の遅れ」と記録される。常時の明かりが基準になれば、暗いことは無条件に問題とみなされます。基準そのものが変わり、それ以前の感覚は取り返しがつかないほど遠のいたように見えます。

また、灯りを絶やさない代償として、夜通しエネルギーを燃やし続けることが日常に組み込まれました。社会は明かりの常時化を進歩と呼びましたが、その裏で、明かりを消すという選択はほとんど選択肢ではなくなっていました。失われたのは、消す自由、つまり明るさを自ら調整する力だったとも言えるでしょう。

歴史家として冷静に記すなら、常時の灯りは夜を消したのではなく、夜の意味を置き換えた、と結論づけるのが妥当です。失われたものの正体を、当時の人々がどれほど自覚していたのか。それを知る手がかりは、記録の上では意外に少ないのです。

ガラス越しに明るい店内がのぞくコンビニの外観。夜でも眠らない店という古代の選択を、後世の読者への手がかりとして示す一枚だ。
ガラス越しに明るい店内がのぞくコンビニの外観。夜でも眠らない店という古代の選択を、後世の読者への手がかりとして示す一枚だ。

(写真: OWSON convenience store — Syced / CC BY-SA 4.0, Wikimedia Commons)

後世の読者へ――夜の明かりという古代の選択

後世の皆さんへ。この節を読まれている皆さんは、夜という時間がどのようなものだったのか、想像するのに苦労されることでしょう。私たちの時代、夜には明かりがあり、それが当然のものとして存在していました。中でも、眠らない店の灯りは特異な存在でした。

ここで一つ、推測を交えて述べさせてください。遠い未来の皆さんが古代の資料を整理する際、二十四時間営業という習俗をどう分類するのか、ということです。宗教的な儀礼と見るのか、経済的な制度と見るのか、あるいは生活様式の一部として記録するのか。当時の人間にとっては商業行為でしたが、夜通し灯りを絶やさないという点では、どこか儀礼めいた面がありました。灯りが絶えないこと自体に、安心感や信頼の象徴としての意味があったように見えます。これはあくまで筆者の推測です。

提案として述べるなら、皆さんの研究では、この灯りを「技術の産物」としてだけでなく「選択の記録」として扱ってみてはどうでしょうか。一九七〇年代に始まったコンビニの二十四時間化は、ひとつの店舗が夜を明かりで埋める選択でした。それがやがて広がり、当たり前になった。つまり眠らない店は、自然発生的に生まれたのではなく、選ばれ続けた結果だったのです。古代の人々があえて夜を消さない道を選んだ理由そのものが、研究対象になり得ます。

もう一つ添えるなら、この選択には代償が伴っていたことです。夜通し電力を燃やすという行為は、当時の私たちには見えにくく、語られにくいものでした。明かりは便利さの証として受け取られ、その裏側にある負担は前景に立たなかったのです。こうした「見えにくかったもの」に光を当てることは、遠い未来の皆さんだからこそできることかもしれません。

灯りは記録に残りにくい存在です。燃やした電力そのものは跡形もなく消え、残るのは制度の痕跡と人々の記憶だけです。だからこそ、この連載は灯りの物語をあえて文章として残しました。皆さんの手元にこの記述が届いているなら、古代の夜は消えていない、ということです。

深夜の店内で段ボールの上に横たわる人物。眠らないはずの店の夜に潜む、見えにくかった営業の実態を垣間見せる。
深夜の店内で段ボールの上に横たわる人物。眠らないはずの店の夜に潜む、見えにくかった営業の実態を垣間見せる。

(写真: Snoozing at the Convenience Store (2706781132) — Christopher from Shanghai, China / CC BY 2.0, Wikimedia Commons)

『現代古代史』編集部

元記事: https://note.com/keity717/n/ndf2b652d5186