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🐈移民問題🐈‍⬛

🐈移民問題🐈‍⬛

🐈移民問題🐈‍⬛

出典: note.com / 2026-01-18

――吾輩は猫である。主人は日本人であるが、日本人ではない。

吾輩は猫である。名前はまだない。 もっとも、名を持つほどの身分でもないから、それで困ることもない。 吾輩は、ただこの家の片隅に寝そべり、主人なる人物を、日々、眺めているだけである。

この主人、戸籍の上では日本人である。 日本に生まれ、日本で育ち、日本語を使い、日本の飯を食っている。 外形的には、どこから見ても疑う余地のない日本人である。 しかし、どうも本人は、そのことをすんなりと受け入れていないらしい。

主人はよく黙って考え込む。 考え込むというより、社会というものを、少し離れたところから眺めている、と言った方が正しい。 世の人間はたいてい、「社会がこうだから自分はこう生きる」と順序立てて考えるが、 この主人はどうも逆らしい。

――俺が生きてて、そこに社会があっただけだ。

と、独り言のように言う。 吾輩には意味の半分も分からぬが、少なくとも主人が、社会にぴったり収まる気がないことだけは察せられる。

主人は社会に従うでもなく、真正面から噛みつくでもない。 ただ、そっと指で突いてみる。 すると社会がどこで怒り、どこで黙り、どこで妙な音を立てるかを、じっと見る。 吾輩が障子の隙間に爪を立てて様子をうかがうのと、よく似ている。

日本という国では、こういう人間は、どうも落ち着きが悪いらしい。 主人も、そのことは分かっている。 だからしばしば、「ここでは息が浅い」とこぼす。

聞けば、外国へ行くと、同じような人間が山ほどいるらしい。 自分を起点に世界を考える者、 国や社会を絶対視しない者、 居心地が悪くなれば場所を変える者。 主人はそういう話をする時だけ、少し楽しそうである。

さて、最近の主人は、やたらと胸を痛めている。 理由は簡単で、世の中が「移民問題」とやらを、えらく乱暴に扱い始めたからだ。

昔は、よそ者は静かに区切られていた。 部落だの、在日だのと、言葉は濁っていたが、範囲は限定的だった。 それがいつの間にか、中国人だの、ブラジル人だの、名指しになり、 今では一気に、世界中の顔が押し寄せてきた。

主人はそれを「ぶわっと来た」と表現する。 吾輩には分からぬが、急に餌の皿が増えすぎて、猫同士が落ち着かぬ感じに似ているのだろう。

SNSとかいう場所では、移民はたいがい悪者である。 治安がどうだ、文化がどうだ、国がどうだと、 短い言葉で切り刻まれて、流れていく。 人間というものは、集まると、ずいぶん簡単に残酷になるらしい。

主人は、それを見るたびに顔を曇らせる。 「胸が痛い」と言う。 時には「張り裂ける」とまで言う。 吾輩は猫であるから胸が裂けた経験はないが、 主人の様子から察するに、かなり重症である。

なぜそこまで痛むのか。 それは、主人の中に「移民の魂」とでも呼ぶべきものがあるからだ。

主人は日本人である。 しかし、どこかで「完全に日本人」になりきれない。 同時に、外国人にもなりきれない。 いつも境目に立って、両方を見てしまう。 この中途半端さが、本人にはどうにも消せないらしい。

だが、主人はその半端さを、恥じてはいない。 むしろ、そこに価値があると考えている節がある。

移民とは、ただ迷惑な存在ではない。 言葉も文化も違う場所へ飛び込み、 嫌な目に遭いながら、それでも生き抜く力だ。 翻訳し、調整し、耐え、やり直す力だ。 主人は、それを知っている。

だからこそ、移民が「問題」としてだけ語られるのが、耐えられない。 悪い話だけが流通し、良い話が沈んでいく。 主人はそれを、放っておくと世界が歪む、と感じている。

「俺には責任がある気がする」

と、主人は言う。 吾輩は思う。 責任というより、これは性分だ。 境界に立ってしまった者は、見えたものを黙っていられない。 それだけの話である。

主人は、日本を捨てたいわけではない。 むしろ、日本の繊細さも弱さも、よく分かっている。 だからこそ、恐れが憎しみに変わる瞬間を見ると、苦しくなるのだ。

吾輩は猫であるから、国家のことは分からぬ。 ただ分かるのは、この主人が、 日本人でありながら、日本だけに閉じきれない魂を持っている、ということだ。

そして、そういう人間が、、、🐈‍⬛


この記事は note.com から KTBLOG に移行されました。元記事: https://note.com/famous_prawn2009/n/neab09716dbef