20年・3度目の挑戦——日中韓『共通歴史教材』が描く和解の未来
「加害・被害の枠を超え、自己中心的な歴史観を退ける」——2025年9月、日中韓3カ国約40名の歴史学者・教員・市民が20年がかりで編み上げた共通歴史教材。戦後80年の節目に問う、東アジア和解の現在地。
同じ歴史を、3つのまなざしで
「8月15日は何の日か」——
重慶、ソウル、東京で撮られた3枚の写真。歓喜、驚喜、悲嘆。それぞれの街で、人々はまったく違う表情を浮かべていた。
添えられた日記や手紙から「その日」を迎えた庶民の心を読み取る構成。中国人は「日本は降伏した」と喜び、朝鮮人の少年は「解放は、昨日までとは全く正反対」と驚き、日本人の母親は「ああ、よかった」と小さな声でつぶやく。
これは2025年9月、日中韓3カ国で同時刊行された共通歴史教材『新・未来をひらく歴史——東アジア3国の近現代史』の一節だ。
同じ瞬間を、三つの異なる立場から見つめる。それがこの教材の根幹にある思想である。
20年、3度の挑戦
プロジェクトの始まりは2005年。小泉首相の靖国参拝と歴史教科書問題で日中韓関係が冷え込んでいた時期だった。
第1弾『未来をひらく歴史』は、3カ国共同という前例のない試みとして反響を呼んだが、編集にあたった早稲田大学の大日方純夫名誉教授は「手探りの出発で、立場の違いが鮮明。内容面の充実には限界があった」と振り返る。日本の侵略・植民地支配が中心で、3カ国がそれぞれの見解を並べ立てる描写が目立った。
2012年の第2弾『新しい東アジアの近現代史』では、韓国が担当した記述の一部で折り合えず、歴史認識をめぐる対話の難しさを痛感させられた。
そして第3弾——「度重なる総括と反省を踏まえ、互いに信頼感を育み、深化させてきた集大成」(大日方氏)が、この『新・未来をひらく歴史』だ。
国家の歴史ではなく、民衆の歴史
本書が最も重視したのは「民衆の視点」である。
「国の歴史や国際関係史ではなく、ある事実が日中韓の市井の人たち、特に女性や子どもにどう影響したか、彼らがどう受け止めたかを考える構成にした」と大日方氏は語る。
構成は全3部・36の問いからなる。アヘン戦争から現代までをカバーしつつ、「通史ではなくテーマ史」を採用。戦争の記述に偏らず、家族観の変化、学校教育、環境問題、植民地や戦場で口ずさまれた歌、SNS時代の若者のアイデンティティまで、幅広いテーマを扱う。
特筆すべきは、「女性と子ども」の視点が全編を貫いていることだ。「女性にどんな暴力が振るわれたのか——戦時性暴力」という章では、日本軍「慰安婦」問題を象徴する少女像の後ろ姿の写真を掲載。少女の老いた現在の姿を示す影から、女性たちの人生を思い浮かべてほしいというメッセージが込められている。
日本の「加害」をどう教えるか
教材が生まれた背景には、日本の歴史認識をめぐる深刻な逆流がある。
1990年代前半、河野談話や村山談話によって「植民地支配と侵略への反省」が政府見解として示された。しかし90年代後半から、「自由主義史観」「新しい歴史教科書をつくる会」といった歴史修正主義の動きが台頭。日本の侵略を肯定し、戦後の歴史認識を「自虐史観」と断じる言説が広がった。
大日方氏はこう指摘する。「日本では空襲や被爆などの戦争体験が中心で、朝鮮に対する植民地支配や中国への侵略戦争による加害についてマスメディアも伝えることが少なく、歴史認識上、大きな弱点を抱えている。そこに極右・排外主義勢力が付け込んでいる」
共通歴史教材は、こうした歴史修正主義への「対抗言論」としての役割も担ってきた。誤った歴史認識を批判するだけでなく、歴史に学び平和な未来をつくろうとする作品を目指す挑戦なのである。
欧州との違い——政府の関与がない市民発の試み
共通歴史教材という取り組みは、欧州では政府主導で進められてきた。
19世紀後半、北欧諸国ではすでに共通教科書の試みがあった。第二次世界大戦後には、独仏共通歴史教科書が政府間合意のもとで編纂され、2006年から両国で使用されている。ドイツとポーランドの間でも同様のプロジェクトが進行中だ。
しかし東アジアでは、政府ではなく市民・研究者が主導してきたことに大きな意味がある。日中韓の政府間には、いまだ歴史問題を正面から協議する枠組みが存在しない。だからこそ、約40名の「個人」が信頼関係を積み上げ、20年かけて一冊の本に結実させた事実そのものが、ひとつの「和解」の形なのだ。
課題——学校現場での活用の壁
とはいえ、課題は山積している。
高校の副教材として想定されているものの、実際に授業で使われるかは未知数だ。日本の「歴史総合」は2022年から必修化されたが、近現代史に割ける授業時間は限られている。中国や韓国でも、政府の教育方針と教材の内容が整合するとは限らない。
「大陸や朝鮮半島にも同じような人がいた。中韓にとっての日本もそうだが、思い浮かべれば、同じ課題をともに解決できるように変われるはずだ」——大日方氏のこの言葉は、教材の理想と、現実の政治との間にある距離を、逆説的に浮き彫りにしている。
「東アジア歴史館」プロジェクトとの共鳴
筆者が進める「東アジア歴史館」プロジェクト——日本・中国・韓国・北朝鮮の近現代史を、国家のナラティブではなく民衆の視点、とりわけ女性と子どもの経験から読み直す試み——は、この共通歴史教材と根底でつながっている。
第1章では日本の歩みを「神話から開国まで」、韓国を「朝鮮半島の千年」、中国を「大河の歴史」として描いたが、いずれも「国家が語る歴史」ではなく「人々が生きた歴史」を主軸に据えた。
共通歴史教材の手法——三カ国の同じ瞬間を並べて比較し、問いを投げかけ、対話を促す——は、まさに「歴史館」が目指す「旅するように歴史を巡る」体験そのものだ。
国家の対立の物語ではなく、市井の人々の声を編み直すこと。それが、東アジアの「記憶のエコロジー」を取り戻す第一歩になる。
参考資料
- 東京新聞「日中韓、同じ歴史教材で『和解』目指そう」(2025年6月15日)
- しんぶん赤旗「戦争の過去から平和な未来へ——大日方純夫氏インタビュー」(2025年9月4日)
- 高文研『新・未来をひらく歴史』(ISBN: 9784874989180、2025年9月5日刊)