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国際関係 ·

【33】「和解は完成しない」——三つの場所で、東アジアの兄弟が語り合っている

カリフォルニア・名張・日朝——三つの場所で、東アジアの兄弟たちが「和解」を実践している。国家的和解と市民的和解、別の速度で動く二つの車輪。奈良からもう一つの居間を作る。

【33】「和解は完成しない」——三つの場所で、東アジアの兄弟が語り合っている

【33】「和解は完成しない」——三つの場所で、東アジアの兄弟が語り合っている

2026年4月、カリフォルニア州の小さな大学のキャンパスで、奇妙な光景が広がっていた。

中国の劇団が舞台でパフォーマンスをしている。観客席には韓国の大学院生がいる。パネル討論のテーブルには、奈良女子大学の研究者が座っている。アメリカの学生が熱心にメモを取っている。

テーマは、東アジアの戦時記憶。領土紛争。芸術による交流。

ここは国連の会場ではない。外務省の会議室でもない。創価大学(SUA)の「東アジア平和と和解」シンポジウムだ。


カリフォルニアから見える、奈良の研究者

創価大学が運営するSIGS(Soka Institute for Global Solutions)は、2025年から3回にわたるシンポジウム・シリーズを企画した。テーマは「東アジアにおける平和と和解」。第1回が日本、第2回が韓国、そして第3回(最終回)が中国を焦点にした。

2026年4月17日と18日。SUAキャンパス(カリフォルニア州アリソ・ビエホ)で開かれた最終回には、東アジアと北米から学者、芸術家、学生が集まった。

私が注目したのは、パネリストの一人だ。

奈良女子大学の西田千寿研究員が、「Lessons from the Past」というセッションに参加した。

なぜこれが重要なのか。

私は奈良に住んでいる。奈良女子大学でAIを教えることが、自分の北極星だと考えている。その大学の研究者が、東アジアの平和と和解をテーマにした国際的な場に参加している。奈良——日本で最も古い都——が、平和構築の対話に直接的に関わっている。

これは偶然ではない。奈良は、東アジアの文化交流を1300年間見続けてきた場所だ。正倉院には唐の宮廷文化がそのまま残っている。聖徳太子は「和を以て貴しと為す」と説いた。奈良は東アジアの「長男の家」であり、その家には兄弟たちが集まってきた歴史がある。

西田研究員がカリフォルニアに行ったことは、奈良から平和の種を蒔きにいく——そういうことだと私は受け取っている。


「和解は完成しない」——Soka Steps

このシンポジウムで、シリーズ全体を統括したHwang教授(創価大学・アジア研究)が印象的な言葉を残している。

「和解は決して完成する成果ではなく、芸術家・学者・学生・一般市民によって持続される継続的な実践である」

教授はこれを「Soka Steps(創価ステップ)」と呼んだ。和解はゴールではなく、歩き続けるプロセスだ。対話を含む長く継続的で開かれたプロセス。

この考え方に、私は強く共鳴する。

家族のメタファーで言えば——兄弟が一度話し合って仲直りしたら、それで終わりになるだろうか。ならない。次の日も、その次の日も、小さな摩擦が起きる。昔の傷がふとした瞬間に痛む。だからといって、兄弟の関係が壊れるわけではない。傷を抱えたまま、関係を続ける。それが家族だ。

東アジアの三兄弟——日本(長男)、中国(次男)、韓国(三男)——も同じだ。1965年の国交正常化で「話がついた」わけではない。2015年の合意で「解決した」わけでもない。合意があっても、合意がなくても、対話は続く。続けなければ、傷は風化するどころか、澱のように沈殿していく。

参加した学生の一人、石山祐司(創価大学・4年)はこう言った。

「成熟するということは時に現実と向き合わなければならないということ。しかし厳しい冬があるからこそ、春に花開くことができる」

若い。そして、正しい。


名張・伊賀——地方の小さな街で、16年続く対話

視線をカリフォルニアから日本に戻す。

2025年11月、三重県の名張市と伊賀市で、第16回東アジア市民社会フォーラムが開かれた。

2009年に日中韓の民間セクターの協力で始まったこのフォーラムは、16年間続いている。2012年の日中関係悪化、2017年の韓国政権交代、2020年からのコロナ禍——国家間関係が何度も揺れた期間に、市民レベルの対話は途切れなかった。

第16回の特徴は、開催地だった。東京ではなく、地方。三重県の名張と伊賀。

テーマは「人口減少社会における持続可能な地域コミュニティの形成」。歴史問題ではない。少子高齢化、地域の維持、新しい担い手の育成。日中韓に共通する、ごく日常的な課題。

開会式では、地元の能楽「面掛け神事」が披露された。地域の文化を、国際交流の玄関にした。

韓国からはボランティア団体の研究者が、中国からは雲南大学の教授と社区基金会の代表が来た。名張市の市長と法政大学の教授が日本側で迎えた。

このフォーラムが示しているのは、対話の場が「中央のエリート交流」から「地域課題を共有する市民の場」へと移行していることだ。

三兄弟メタファーで言えば——国の首都で、外務省の官僚が向かい合って話すのではない。地方の小さな町で、それぞれの家の悩みを持ち寄って、一緒にご飯を食べながら話す。そういう場所が、16年続いている。


平壌の学生と日本の学生——国交がなくても、対話はできる

三つ目の場所は、もっと驚きがあった。

日本国際ボランティアセンター(JVC)が主催する「東アジア次世代ピースフォーラム」。

このプログラムの起源は2012年。日本の大学生と、平壌外国語大学の学生が交流したのが始まりだ。

日本と北朝鮮には国交がない。外交関係すらない。それでも、大学生同士が出会い、話し、共に学んだ。

2018年からは韓国の学生も加わった。コロナ禍で平壌との直接交流は途切れたが、学習会とフィールドワークは継続している。

そして2025年度、このプログラムは転換点を迎えた。対象を「学生限定」から「若者一般」に開放したのだ。若手社会人も参加できるようになった。

プログラムの内容を少し紹介したい。前期(10〜12月)のテーマは「KOREAこどもキャンペーンの取り組みを学ぶ」だった。1990年代の日朝人道支援の歴史、韓国NGOとの出会い、在日コリアンとのフィールドワーク。後期(1〜3月)は、参加者が自分たちで企画を立てて実行する。

在日コリアンとのフィールドワークがある。大阪・生野のコリアタウンを歩き、在日の人たちの声を聞く。国境のこちらとあちらの間に生きる人たちの、複雑で豊かな経験に触れる。

三兄弟メタファーで言えば、末っ子の北朝鮮は家族の輪から一番遠いところにいる。連絡も取れない。顔も合わせられない。それでも、末っ子の家の若者たちと、兄たちの家の若者たちが、第三者の場で出会い、対話した。国交がないということは、国と国の関係が途絶えているだけだ。人と人の関係まで途絶えたわけではない。


国家的和解と市民的和解——別の速度で動く二つの車輪

この三つの場所——カリフォルニア、三重、そして日朝の若者交流——に共通しているのは、どれも国家間外交の枠組みの外にあるということだ。

SIGSのシンポジウムは大学が主催した。東アジア市民社会フォーラムは民間団体が運営している。JVCのピースフォーラムはNGOが手がけている。

政府の合意を待たずに、市民が動いている。

これを「国家間の和解が失敗したから市民が代わりにやっている」と捉えるのは正確ではない。そうではなく、市民の対話と国家の外交は、別の速度で動く二つの車輪なのだ。

国家間の合意は条約や共同声明という形をとる。署名があり、批准があり、法的拘束力が生まれる。だが、条約が署名されたからといって、相手国の市民の心象が一夜で変わるわけではない。反対に、市民の間に信頼が積み上がっていなければ、条約は紙切れになる。

1965年の日韓基本条約は、国家間の合意としては画期的だった。だが、条約が署名された翌日から韓国の市民が日本を好きになったわけではない。条約の下で、50年以上かけて、市民レベルの相互理解が少しずつ積み上がっていった。K-POPが日本で流行り、日本のアニメが韓国で愛され、若い世代が互いの国を訪れるようになって、ようやく条約の骨格に血が通った。

国家の車輪は速いが、届く範囲が浅い。市民の車輪は遅いが、根を張る。

Hwang教授が「Soka Steps」と呼んだのは、後者の車輪の回転を名付けたのだと思う。


家族の居間で、何を話すか

三兄弟メタファーに戻ろう。

日本、中国、韓国。この三兄弟が、これまで主に対話してきたのは「書斎」だった。外務省の会議室、国連の総会、首脳会談のテーブル。そこでは、条約の文言が吟味され、共同声明の表現が削られ、領土の線が引かれる。

だが、兄弟が本当に仲直りするのは、書斎ではない。

居間だ。

冬場のこたつを囲んで、みかんを剥きながら、何でもないことを話す場所。そこで、「最近どう?」「あの時はごめんな」「お前、あれ好きだったよな」と、とりとめのない会話をする。その積み重ねが、兄弟の関係を作る。

SIGSのシンポジウム、名張の市民フォーラム、JVCの若者交流——これらはすべて「居間」だ。

カリフォルニアの大学のキャンパスも居間になればいい。三重の地方都市の公民館も居間だ。平壌の学生と日本の学生が出会う場所も居間だ。

書斎での対話(外交)を否定するわけではない。書斎も必要だ。だが、書斎だけでは家族はまとまらない。


奈良から、もう一つの居間を

西田千寿研究員がカリフォルニアに行った。そして、東アジアの平和と和解について語った。

私は、奈良にもう一つの居間を作りたい。

奈良は東アジアの「長男の家」だ。正倉院には唐から届かった楽器や書物が残っている。東大寺の大仏は、国家の威信だけでなく、東アジアからの技術と文化の結晶だ。新薬師寺の仏像は、朝鮮半島から渡来した職人の手によるものかもしれない。

この町は、1300年前から東アジアの文化交流の結節点だった。これを、平和構築の結節点にしたい。

「ならしLLM」という構想がある。奈良の地域に特化したAIだ。正倉院の文書と市民の声を学習させる。高齢者が方言で話しかけても、応えてくれる。地域の記憶を保存し、継承するAI。

これを平和構築に使えないか。

たとえば、東アジアの歴史を奈良の視点から語るAI。日本の視点、中国の視点、韓国の視点——それぞれの「正史」がどう違うかを、奈良が持っている文化財を手がかりに示すAI。

あるいは、東アジアの若者が奈良を訪れたとき、自分たちの国と奈良の歴史的つながりを、AIが対話形式で教えてくれる仕組み。

技術は手段だ。大事なのは、居間を作る意志だ。


まだ何も始まっていない——だからこそ

【21】で「東アジア平和の輪」というコミュニティの呼びかけを書いた。それから1週間。反響は、正直に言って、まだない。いいねもコメントもシェアもゼロだ。

がっかりしている? 少しは。だが、落胆はしていない。

SIGSのシンポジウムは3年がけて3回シリーズを組み、ようやく最終回に至った。名張の市民フォーラムは16年続いている。JVCの日朝交流は2012年に始まり、コロナ禍で中断しながらも、形を変えて続いている。

平和構築は、1週間で反響が出るものではない。16年、あるいはもっと長いスパンで続けるものだ。

だから、私は書き続ける。語り続ける。奈良から、東アジアの兄弟たちに向けて。

居間の電気は、つけておく。いつでも来てほしい。


💡 この記事のポイント

  • 2026年4月、創価大学(SIGS)で東アジア平和と和解の最終シンポジウムが開かれ、奈良女子大学の西田千寿研究員が参加した
  • 名張・伊賀での第16回東アジア市民社会フォーラムは、16年間続く日中韓市民対話の場。「中央のエリート交流」から「地域課題を共有する市民の場」へ移行している
  • JVCの東アジア次世代ピースフォーラムは、日朝の学生交流から始まり、2025年度から若者一般に開放された。国交がなくても、対話は可能だ
  • 三つの場所に共通するのは「国家間外交の外で市民が動いている」こと。国家の車輪は速いが浅い、市民の車輪は遅いが根を張る
  • 奈良は1300年前から東アジアの文化交流の結節点だった。これを平和構築の結節点にしたい

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