【芸術って何だろ? #678】鉄絵銅彩 — 焼き物の「絵」になる技法は素材と何を交渉するのか(千葉県立美術館・神谷紀雄作陶展)
焼き物に「絵」が生まれるまで — 鉄絵銅彩の基本
焼き物に絵が登場するというと、完成した器の表面に色や模様が刷り込まれている様子を想像しがちです。しかし鉄絵銅彩では、その「絵」は窯の中で初めて生まれます。描く段階で見えているものは、あくまでも素焼きの肌に乗せられた鉄や銅の成分にすぎません。目の前にあるのは、まだ色を持たない素材の断片なのです。
鉄絵は、鉄分を含む絵の具で素地や素焼きに直接描く技法です。鉄分は釉薬をかけて高温で焼くことで初めて発色し、酸化の度合いによって褐色から黒みを帯びた色合いへと変化していきます。筆の運びや描く量の違いが、焼き上がりの濃淡にそのまま表れるため、描いた瞬間には確かめられない表現と向き合うことになります。
銅彩は、銅分を用いて発色を得る技法です。銅は窯の中の炎の性質によって、緑にも赤にも変化するといわれる、幅広い色を持っています。同じ銅を使っても、酸化と還元、どちらの雰囲気で焼くかによってまったく異なる表情が現れるとされます。この予測の難しさこそが、銅彩の魅力であり難しさでもあります。
つまり鉄絵銅彩とは、鉄と銅という二つの金属の性質を知り、窯の火と読み合いながら画面を組み立てていく技法だと言えます。絵の具を筆で動かす絵画と違い、描き手ができるのは材料を置くことと、焼く条件を定めることまでで、最後の発色は素材と火に委ねられます。だからこそ、焼き上がるまで結果がわからない時間は、この技法をめぐる思考の中心にあるといえるでしょう。

鉄絵で植物文を描いた高麗時代の注器。釉薬の下で鉄がどう発色したかは、素材との交渉を考える入り口になる。
(写真: Ewer with leaf design, Korea, Goryeo dynasty, c. 1100-1150 AD, stoneware with inlaid decoration on iron-oxide slip under glaze, Asian Art Museum, SF - DSC08707 — Daderot / CC0, Wikimedia Commons)
素材との交渉 — 土と釉薬が描き手に返してくるもの
焼き物に絵を描くというとき、描き手は紙やキャンバスを相手にするのとは、少し違うやり取りをすることになります。その相手が、土と釉薬です。この節では、鉄絵銅彩という技法を、素材との「交渉」という視点から眺めてみたいと思います。
まず土です。成形された器は、素焼きを経て本焼きを迎えるまで、変化し続ける存在です。筆で線を置いても、土の乾き具合や吸い込み方によって、線の受け止め方は変わります。同じ力で描いても、場面によってにじみ方が違う。だから描き手は、土の状態を読みながら、筆の運びや水分の量をそのつど調整することになります。
次に釉薬です。鉄で描いた絵は、そのままでは地味な灰色や褐色にすぎません。ところが釉薬をかけて窯で焼くと、鉄は釉薬と反応して、青みがかった濃紺や、銅と組み合わせれば緑や赤といった彩りを見せます。つまり、描いたときの色と焼き上がりの色は、違うものになるのです。しかも窯の中は炎や灰の影響を受けるため、まったく同じ結果は得られにくいとされます。
この「描いた色では仕上がらない」という性質は、一見すると不便に思えます。しかし見方を変えれば、素材は描き手の意図に素直に従うのではなく、素材自身の性質を加えて返してくれている、とも言えます。だからこそ描き手は、狙いをぴたりと固定するのではなく、素材の応答を見込みながら画面を組み立てる必要があります。
鉄絵銅彩の面白さは、こうしたやり取りの先にあると考えられます。思いどおりにするのではなく、素材と話し合いながら画面を築く。土と釉薬が返してくるものを受け止めて形にする。その交渉の跡こそが、焼き物の絵ならではの深みになるのではないでしょうか。

鉄絵の文様に銅を含む釉を掛けた織部系の皿。焼成の炎次第で変わる発色が、技法そのものを物語る。
(写真: Dish with handle 1573-1615 CE Japan Mino region Gifu prefecture Ao-Oribe ware (stoneware with iron-oxide decoration under copper-oxide glaze (494801977) — Mary Harrsch from Springfield, Oregon, USA / CC BY 2.0, Wikimedia Commons)
神谷紀雄の作陶 — 鉄と銅で築く画面の深み
鉄絵銅彩という技法は、神谷紀雄の作陶を語るときに欠かせない鍵だと考えられます。なお、ここで述べるのは技法の一般的な性質に基づく説明であり、個々の作品の評価は、実際に展覧会で作品を前にして確かめるのが確実です。
鉄絵は、鉄分を含む絵の具で素地や化粧土の上に絵柄を描き、釉薬を施して高温で焼き付ける技法です。鉄は焼成の温度や雰囲気によって発色が変わり、筆致の濃淡がそのまま画面の深みとして現れます。同じ筆運びでも窯の中でどう変化するかは完全には予測できず、描き手は素材と対話しながら意図を調整していくことになります。
銅彩も同様に、銅分を含む釉薬が焼成によって緑や青、ときには赤みを帯びた色合いを見せる点に特徴があります。銅の発色は酸素の量に敏感とされ、酸化焼成と還元焼成で印象が大きく変わります。つまり鉄と銅は、どちらも窯の中で描き手の意図に「返答」を返してくる素材だと言えます。
神谷紀雄の作陶で注目したいのは、この二つの素材をどう一つの画面に組み合わせ、深みを築いているかという点です。鉄の落ち着いた色調の上に銅の色が重なると、平面の装飾でありながら厚みや奥行きを感じさせる画面が生まれる可能性があります。それは筆だけで作るものではなく、土・釉薬・焼成という工程全体が協働して初めて立ち上がるものだと考えられます。
紙やキャンバスの絵画と異なり、焼き物の「絵」は描いた時点では完成していません。窯から出された瞬間に初めて、素材との交渉の結果が見えるのです。鉄と銅という性質の異なる二つの素材を画面に据える神谷氏の作陶は、この不確実性を表現の力に変える営みとして、展覧会でじっくり観てみたいところです。

黒褐色の釉に鉄の発色が現れた宋時代の茶碗。鉄が生む落ち着いた色調が画面の厚みを考えるヒントになる。
(写真: Tea bowl, China, Song Dynasty, 960-1279, stoneware with dark brown glaze and iron oxide markings - Chazen Museum of Art - DSC01671 — Daderot / CC0, Wikimedia Commons)
千葉県立美術館で観る — 展覧会から技法を味わう
美術館で焼き物を観るとき、私たちは普段、器としての完成品とだけ向き合いがちです。形や用途に関心が向かい、表面の色や文様を「絵」として観る機会は意外に少ないものです。けれども鉄絵銅彩のような技法を意識して観ると、同じ作品がまったく違う顔を見せてくれます。千葉県立美術館で開かれる神谷紀雄の作陶展は、まさにその見方を練習する好機だと考えます。
まず目を留めたいのは、絵付けの筆致です。鉄絵は酸化によって焦げ茶に変わり、銅彩は窯の中の炎との兼ね合いで緑や赤などさまざまな色合いを生みます。つまり描いた瞬間の色と、焼き上がった後の色は一致しないわけです。展示作品の前で「どの筆の動きがどの色に変わったのか」をたどってみると、画面が一枚の絵として成立している過程が見えてきます。これは資料に基づく技法の特徴から読み取れる見方で、実際にどんな展示構成になっているかは現地で確かめるのがよいでしょう。
次に、釉薬の厚みや光の受け方を観察するのも提案です。鉄と銅がどう重なり、どう窯の中で姿を変えたかは、断面の色の重なりや艶の違いに痕跡を残します。近づいて細部を観てから離れて全体を見直すという順番を繰り返すと、細部の意匠と画面全体の深みとの関係が感じ取りやすくなります。
さらに、焼き上がりの偶然と描き手の意図のあいだに思いを巡らせる視点もおすすめします。同じ図案でも窯次第で色彩が変わる技法だからこそ、作品には「素材から返ってきた答え」が刻まれています。描き手は素材と対話しながら絵を完成させていくのです。展覧会場でそれを直に味わうことは、鉄絵銅彩という技法の理解を、知識から体感へと移してくれるはずです。

緑釉の下に鉄絵の鳥文を残す絵織部の方皿。描き手の意図と窯の偶然が重なった結果を観察する好例だ。
(写真: Square dish with bird design, Japan, Mino region, Gifu, approx. 1573-1615 AD, Ao-Oribe ware, stoneware with iron-oxide decoration under copper-oxide glaze - Asian Art Museum of San Francisco - DSC01499 retouch — Daderot / CC0, Wikimedia Commons)
『芸術って何だろ?』編集部